DJ とは?
DJ とは、Disc jockey(ディスクジョッキー)の略称です。Disk はディスク、 jockey は操縦者を意味しています。
DJ はその名の通り、ディスク(録音された音楽)を操縦することで、聴衆を楽しませる役割を担います。
しかし「ただ曲を流す」では聴衆は盛り上がりません。
DJ は聴衆を盛り上げるために、これまで数々の工夫をこらしてきました。このような工夫が、現在の DJ スキルや DJ 文化に繋がっているのです。
次章から詳しく歴史を辿っていきましょう。
DJ の語源:ラジオ DJ
DJ の語源はラジオ DJ にあります。
1935年、Martin Block(マーティン・ブロック)がラジオアナウンサーを務めた番組『Make Believe Ballroom』が放送を開始。この番組は、人気音楽を流すラジオ番組の先駆けとなる存在でした。
「Ballroom」とはダンスホールを指し、当時のアメリカではジャズなどの生演奏を楽しむダンスホール文化が盛んでした。この番組では、「架空のボールルームから音楽をお届けする」というコンセプトのもと、生演奏ではなくレコードをかけ、このスタイルが多くの聴衆から支持され、番組は大きな人気を集めたのです。
そんな中、ラジオプレゼンターのWalter Winchell(ウォルター・ウィンチェル)が Martin Block を「ディスクジョッキー(Disc Jockey)」と呼んだことがきっかけで、「DJ」という言葉が広まりました。
現代では「DJ」といえばクラブ DJ を思い浮かべる人も多いですが、もともとはラジオアナウンサーである Martin Block に対して使用された言葉だったのです。
ラジオ DJ によるダンスパーティ
1943年、ラジオ DJ の jimmy Savile(ジミー・サヴィル)は、友人宅にあるレコードプレイヤーを借り、レコードを流すイベントを開催。
観客は1人1シリング(※1)徴収され、このパーティは録音された音楽で観客を楽しませるといったディスコの先駆けのパーティーであったと知られています。
一台のターンテーブルだとレコードを変える間は無音になってしまいますが、Jimmy Savile は曲が止まらないようターンテーブルを2台使用した最初の人物だと主張しています。
しかし、この2台ターンテーブルを使用することが一般的になったのは、もっと後のことで、直接的な影響があったかは定かではありません。
Jimmy Savile はラジオ DJ テレビの司会者として人気を集めていましたが、性的犯罪をくり返していたことが死後に発覚し、彼のあらゆる名誉は現在剥奪されています。
(※1 )当時イギリスで使用されていた通貨の単位。
ディスコの普及と DJ 重要
第二次世界大戦中、パリのダンスホールでは生演奏が禁止されていました。そこで、代わりにレコードを流すダンスホールが増えました。
このような場所はやがてディスコと呼ばれるようになり、人気が上昇。
1964年に初の商業ディスコ『WHISKY A GO GO(ウィスキー・ア・ゴーゴー)』がフランスにオープン。このダンスクラブを皮切りに様々なクラブが増え、その人気はアメリカまで及びます。
ダンスクラブで欠かせないのが、レコードを流す DJ の存在です。
アメリカの DJ Francis Grasso(フランシス・グラッソ)は、1969年にビートマッチングを開発しました。ビートマッチングとは、次の曲に移行する際に両楽曲の BPM を合わせることです。このテクニックにより、曲と曲の間を違和感なく繋ぐことができ、フロアの熱量を保ったまま次の曲に進むことができます。
Francis Grasso はビートマッチングの精度を高めるべく、より良い繋ぎ方ができるのではないかと、Alex Rosner というエンジニアに相談。これをきっかけに、DJ 用ミキサーの開発が進みました。その後 1970年代、初の商業用 DJ ミキサーとして Bozak CMA-10-2DL が発売されます。
また、同時期にパナソニック社から最初の業界標準となったターンテーブル Technics SL-1200 が発売されました。この機材により、ビートマッチングがよりしやすくなり、クラブ DJ の必須ツールとなりました。
このディスコの普及により、DJ が音楽を流す音楽に合わせて踊るというクラブ文化が発達しました。
ジャマイカのサウンドシステムによる貢献
1950年代のジャマイカでは、野外に巨大な音響設備を持ち込んでパーティを行うサウンドシステムという文化が生まれました。
このサウンドシステムには、スピーカーやターンテーブルなどの音響機材に加えて、セレクター、MC、エンジニアを含めたサウンドクルーも欠かせない要素です。
エンジニアであった King Tubby(キング・タビー)は、ダブミュージックを発明。
ダブミュージックとは、既存の音楽に対しエフェクトを加えたり、一部分だけ再生したりなど、エンジニアがエディットを加えた音楽のことです。
このダブミュージックは、DJ のリミックスの発展に貢献しました。
また、このサウンドシステムは HIP-HOP の形式にも採用されています。
MC は観客を盛り上げるために、かかっている曲の説明をリズムに合わせて紹介する「トースティング」を行っており、これはのちにラップの原型となりました。
HIP-HOP の発展
ディスコが流行していた1970年代、貧しい地域に暮らしていたアメリカの黒人達の間ではHIP-HOP の元となる「ブロックパーティ」が流行。
ブロックパーティはジャマイカのサウンドシステムを使用し、路上などで様々なレコードを流し、音楽を楽しむパーティです。DJ が曲を流し、MC が観客を盛り上げ、 B-BOY が音楽に合わせて踊ります。
ジャマイカ出身の DJ Kool Herc(DJクール・ハーク)は、観客がブレイクの部分で一番盛り上がると気付き、ブレイク部分をつなぎ合わせるメリーゴーランドという手法を確立。これは、後にご紹介するターンテーブリズムの先駆けとなっただけではなく、HIP-HOP の礎となりました。
また、Grand Wizzard Theodore(グランド・ウィザード・セオドア)はスクラッチを発明。HIP-HOP の形成に貢献した伝説的な DJ 、Grandmaster Flash(グランドマスターフラッシュ)は彼の親戚で、このスクラッチを世間に紹介しました。
スクラッチとは、アナログレコードを前後に動かすことで発生するサウンドのことです。
イメージがしづらい方は、以下の動画を合わせて見てみてください。
Grandmaster Flash は他にもクイック・ミックス理論といって、楽曲の一番盛り上がるところを何度も再生するという技法も生み出しています。
以下の動画では、 DJ Kool Herc のメリーゴーランド、Grandmaster Flash クイック・ミックス理論について知ることができます。
HIP-HOP の DJ たちによって、DJ はただ音楽を流す人ではなく、よりクリエイティブな側面をもち始めたのです。
ターンテーブリズム
ターンテーブリズムとは、スクラッチなどの技法を使用し、曲を流しながらも変化を加えて行くことで、ターンテーブルを楽器のように扱うことです。
ターンテーブリズムを行う人のことを、ターンテーブリストと呼び、時にフロア DJ とは区別されて呼ばれます。
このターンテーブリズムは、先にご紹介した HIP-HOP の DJ たちが様々な手法を確立したことをきっかけに、広まっていきました。
1985年にはこのターンテーブリズムの腕を競い合う『DMC World DJ Championships』の第一回目が開催され、DJ の新たな幅が広がりました。
以下の動画は『DMC World DJ Championships』2024年チャンピオンの動画です。
アーティストとしての DJ
2000年代に入ると、デジタル DJ 機器とインターネットが普及。
これまで大量のレコードや CD を購入し持ち歩かなければならなかったのが、機材だけで DJ ができるようになり、DJ の敷居が下がりました。
また、エレクトロニックダンスミュージック(EDM)の流行とともに、野外ダンスミュージックフェスティバルであるレイブカルチャーの人気が上昇。
Avicii(アヴィーチー)など カリスマ DJ が登場し、DJ は自身で作曲した曲をフェスで流し、アーティストやプロデューサーとしての側面を持ちはじめました。
こうして、現代の DJ の活躍の場は多様化していったのです。
最近ではクラブや HIP-HOP の場だけでなく、アーティストとしての側面が強い DJ やサウンドクリエイターとして活躍する DJ、さらにはトラックメイカーや作曲家と兼業している人もいます。
DJ という同じ肩書きながらも、その活動内容は多種多様なのです。
有名な DJ
DJ松永(Creepy Nuts)
HIP-HOP グループ Creepy Nuts のメンバー。
2019年にロンドンで開催された DJ のスキルを競う世界大会「DMC World Championships 」にて優勝。
2013年にカリスマラッパーであるR-指定と「Creepy Nuts」を結成。
2024年にリリースした『Bling-Bang-Bang-Born』は累計6億回も再生されるなど、今注目の DJ である。
tofubeats
日本のDJ。
DJ の他に、音楽プロデューサーやトラックメイカーとしても活動しており、これまでに様々なHIP-HOP アーティストとコラボ、さらには楽曲提供を行っている。
2013年にはワーナー・ミュージックにてメジャーデビューを果たしている。
Martin Garrix
オランダ出身の DJ。
2013年にリリースした『Animals』から人気に火がつき、瞬く間に EDM 界を代位表する DJ となった。
毎年アメリカのダンスミュージックの専門誌「DJ Mag」が実施している人気の DJ を決める投票『Top 100 DJs 2024』にて、1位に選ばれている。
David Guetta
フランス出身の DJ。キャリアをスタートした1980年代から現在まで、第一線で業界を引っ張ってきたレジェンド的 DJ。
2009年にリリースした『When Love Takes Over』は大ヒットとなり、David Guetta が EDM の黄金期の始まりを作ったとされている。
『Top 100 DJs 2024』では、2位に選ばれている。
まとめ
今回は、DJ の歴史についてご紹介しました。
DJ の最大の役割は「曲を流すこと」にありますが、その過程で聴衆を楽しませるために、曲をシームレスに繋いだり、盛り上がる部分をリピートしたりと、数多くの技法が生み出されてきました。
さらに、これらの技法が発展する中で、ターンテーブルを使った演奏自体を競う大会が開催されるなど、DJ 文化は多様な形で広がりを見せています。
DJ がどんなことをやっているかイマイチ分からなかった方も、この記事を踏まえた上で彼らの DJ を見てみると、理解が深まるのではないでしょうか。
また、ONLIVE Studio blog では過去に EDM についてご紹介しています。
DJ と密接的な音楽ジャンルなので、合わせて読むとより理解が深まるでしょう。
東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。