歌謡曲ってどんな曲?〜演歌やJ-POPとの違いとは?

日本の曲には歌謡曲、J-POP、演歌などの分類がありますよね。 感覚的にはそれぞれイメージが沸くけれど、それぞれの定義についてよく知らないという方も多いのではないでしょうか。 この記事では、日本の歌謡曲についてご紹介いたします!

Nami
2025-02-055min read

歌謡曲とは?

歌謡曲とは日本の曲のジャンルの一つで、主に昭和時代に日本で制作された商業的な歌のことを指します。

この歌謡曲はテレビ、ラジオなどを通して流れ、昭和時代を一世風靡しました。
洋楽に影響を受けた伴奏に、日本独自の旋律が乗っているのが特徴で、J-POP の原型ともいえます。

歌謡曲が生まれた背景

歌謡曲が生まれた背景は、1853年(江戸時代後期)にペリーが日本に来航したところまで遡ります。
ペリーの来航によって日本の鎖国が終わり、様々な西洋文化が国内へ流れはじめました。音楽も例外ではなく、この頃に西洋の音楽が日本に流れたとされています。

今の日本人はほとんどの人が「ドレミファソラシド」の音階を言えますが、当時の人はそれすらもさっぱりわからなかったようです。

そうして西洋の音楽が日本の音楽と融合していき、日本古来の音楽は「歌謡」、西洋に影響され作成された音楽は「歌謡曲」と呼ばれはじめました。(この歌謡曲は現在の使われ方とはやや違います。)また、その時々に大衆で親しまれていた音楽は「はやり歌」と呼ばれていました。

1925年(大正14年)には日本でラジオが放送を開始し、昭和初期に入ると、JOAK(現在の NHK)のラジオ番組にて、当時のはやり歌を流す際に「歌謡曲」という言葉を使ったことにより、この言葉が世間に浸透していったとされています。

この流れで、昭和時代では日本で作られた大衆的に人気のある曲を「歌謡曲」と呼ぶようになりました。

演歌との違い

演歌とは、歌謡曲の一種です。
演歌が登場する1960年代までは、西洋の音楽に影響を受けた音楽が流行っていました。
そんな中、日本独自の音楽性が強く出た日本調の楽曲がリリースされはじめます。これらの楽曲は演歌と呼ばれるようになり、瞬く間に人気ジャンルとなっていきました。

また、元々演歌という言葉は、明治時代に起こった自由民主運動の「演説歌」に語源があります。
この演説歌は、政治や社会風刺を歌詞にして歌いました。
歌うと言っても、現在のようにメロディーのあるようなものではなく、ラップのようなものだったとされています。

『オッペケペー節』

J-POPとの違い

J-POP という言葉は、J-WAVE というラジオ局によって作られた名称です。

J-WAVE は1988年に開局したラジオ局で、当時は洋楽をかけることがほとんどでした。
そんな J-WAVE のイメージを保ちつつ、洋楽と遜色ない形で流せる日本の曲の名称をということで「J-POP」と言う言葉が作られたとされています。その選曲は、明確な定義はなく感覚値が大きかったようです。

以降、日本の大衆向け音楽は徐々に「J-POP」とカテゴライズされるようになっていきました。

このことから、日本における音楽のうち昭和の大衆向け音楽は歌謡曲、平成以降の日本のポピュラー音楽は J-POP のように考えても良いでしょう。

歌謡曲の変遷

歌謡曲と一括りにまとめても、その内訳は幅広いものです。また、時代によって主に流行していた楽曲は様々です。

この章では、各時代の歌謡曲をご紹介します。

戦前の歌謡曲

1928年 佐藤千夜子『波浮の港』

1929年 佐藤千夜子『東京行進曲』

東京や大阪など主要な地域でしか普及していなかったラジオが全国化し、ご当地ソングが流行しました。

戦後の歌謡曲

1945年 並木路子、霧島昇『リンゴの唄』

1948年 笠置シヅ子『東京ブギウギ』

第二次世界大戦の終戦直後に流行した2曲。

リンゴの唄は、戦後初めて上映された映画『そよかぜ』の挿入歌として知られています。

また、東京ブギウギではジャズの影響を受けた派手な演奏が行われており、戦後の復興を象徴する曲となっています。

演歌の流行期

1959年 三橋美智也『古城』

この頃から、演歌が流行しはじめます。

1966年 美空ひばり『柔』

美空ひばりは、演歌のイメージを持つ方も多いかもしれませんが、演歌を歌い始めるようになったのはこの頃です。

それまではその時代に流行っていた歌謡曲やジャズなど、様々な曲を歌っていたため、演歌もその当時流行った歌謡曲の一部だったのではないでしょうか。

1961年 坂本九『上を向いて歩こう』

演歌が流行しはじめる一方で、国内のみならず海外ヒットした曲もあります。

1961年に発売されたこの楽曲は、アメリカで『SUKIYAKI』と言うタイトルで発売され、アメリカのビルボードで1位に輝きました。

アイドル全盛期70~80s

1978年 山口 百恵『プレイバック part 2』

1985年 中森明菜『飾りじゃないのよ涙は』

70年代に入ると、カラーテレビの普及が急速に進み、お茶の間でテレビを楽しむ時代に。

この頃放送していた「スター誕生!」というオーディション番組が世間で人気を博しました。この番組から、森昌子がヒットをとばしたことを皮切りに、山口百恵や中森明菜、ピンク・レディーらが誕生し、アイドル全盛期が到来します。

1989年に昭和が終わり、1990年台になると流行歌は歌謡曲から徐々に「J-POP」と呼ばれるようになります。


まとめ

以上、今回は歌謡曲についてご紹介しました。

主に昭和の大衆音楽を指す『歌謡曲』には、様々なジャンルの曲が存在します。
洋楽の影響を強く受けた曲から、日本調の要素を強く押し出した曲まで...今回ご紹介したのはほんの一部ですが、なんとなくイメージが沸いたのではないでしょうか。

個人的には、現在に近い形で演歌が誕生したのは1960年付近ということに驚きました。
日本的な要素が強い演歌の方が古くからあるイメージだったのですが、歴史はそう単純ではないんですね。

近年流行している曲は洋楽の影響を受けていないものはほぼ存在しないと思いますが、それは歌謡曲の頃から変わらないようです。

洋楽に大きな影響を受けつつも、日本独自の特徴を融合させて作り上げている日本の音楽市場。長い歴史をもち、現在も世界第2位の市場規模を誇っていることはすごいことなのではないでしょうか。

Nami
Written by
Nami

東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。

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