世界にはアビー・ロード・スタジオ、サンセット・サウンド・レコーダーズ、フェイム・スタジオなど...様々な伝説的スタジオの音を再現したリバーブプラグインが存在します。
日本でも、数々の名盤を生み出し音楽制作の聖地と呼ばれている伝説的な音楽スタジオ・音響ハウスが国内初の試みとして、音響ハウスの響きを再現したプラグイン『ONKIO Acoustics』を販売しています。
では、その「響き」とは、どのような音なのでしょうか。
今回は、ONKIO Acoustics の開発にも携わった現役エンジニアの中内茂治さん、そして開発のプロジェクトリーダーである田中誠記さんに、スタジオの音やプラグイン開発の背景などをお伺いしていきます。
ONKIO Acoustics の制作「この音響ハウスの響きを次世代へつなげていく」
- ONKIO Acoustics を制作するに至った経緯を教えて下さい。
中内さん(以下、中内):
制作の大きなきっかけは、音響ハウスのドキュメンタリー映画(※1)です。
映画の中では坂本龍一さんや松任谷由実さんなど、一流の音楽家たちが音響ハウスの音場で録れる音について語ってくださいました。
音響ハウスは今年で 51 年目になるので、ビル自体の寿命も視野に入れるといつまでもこの音場を保つことは難しいかもしれない...。
なので、皆さんが好んでくださっている、このスタジオの響きを公式記録として何かの形で残せないかという話になったんです。
また、もう一つの動機として「学生さんや若い人たちに、音響ハウスの響きを提供したい」という想いもありました。
音響ハウスはプロユースのスタジオなので、若い方は費用的にもなかなか手が出ないと思います。そういう方たちに「プロが使用する音響ハウスでは、こういうルームリバーブがつくんだよ」ということを手軽に体感して頂きたいなと思います。
田中さん(以下、田中):
この音響ハウスの響きを次世代へつなげていく。このプラグインは、そういった役割も持っています。
プラグインを使ってくれた若者が、10年後とかにプロフェッショナルとして音響ハウスで実際にレコーディングしてくれたら嬉しいですね。
このような想いが背景にあったので、プラグインの販売価格は制作費用に関わらず、1万円を超えないようにして我々の心意気を反映させました。
※1『音響ハウス Melody-Go-Round 』は、2020年に公開した音響ハウスのドキュメンタリー映画。
-音場を表現するにあたって、最も苦労されたのはどのような点でしたか?
田中:
具体的にどのように音場の響きを残すかを決めるまでですね。
我々はプラグイン制作に関する知識や経験値が全くなかったので、まずは協力してくれる人を探す所から始めました。
通常、リバーブプラグインを作る時は IR (インパルス・レスポンス)という、音響特性を再現するために用いられるオーディオファイルを使用します。
ですが、 IR よりも再現性の高い VSVerb テクノロジーを TACSYSTEM (※2)を通じて知りました。この技術はアコースティックデザイナーの中原さんが、AES 等で発表しており、相談してみようとなりました。
(※2)タックシステム株式会社。東京都品川区にて、業務用音響・映像機材のシステム販売や卸売販売などを手掛ける代理店
-IR と VSVerb というのは、どのように違うのでしょうか?
中内:
IR は時間情報で記録する、VSVerb は空間情報を記録する、という違いがあります。
すごくざっくり言うと、スタジオでスピーカーから信号を鳴らして、それをマイクで収録して、その響きを解析するのが IR です。
IR は使用するスピーカーやマイクといった測定器のスペックに左右されたり、今後 Dolby Atmos への対応するとなると、また音を記録しなきゃならないデメリットがあって。
VSVerb の測定も同じ録り方をしますが、データの抜き出し方が違います。
音がどこに反射して、どれだけ時間をかけて戻ってきたかなどの反射情報を抽出していくので、測定器のスペックにも左右されづらく、Dolby Atmos などの多チャンネルのものにも転用可能なんです。
肝心の音ですが、エンジニアみんなで IR と聞き比べた際に、満場一致で VSVerb の方が再現度が高いとなりました。
自分は音響ハウスに勤めて 20 年くらいになりますが、スタジオで準備してる時などに何気なく喋っている時の響きもすごくリアルに聞こえたので感動しましたね。
-世界的にも様々なリバーブプラグインが出ていますが、制作物にリバーブが与える影響についてはどのようにお考えでしょうか?
中内:
ライブハウスやホールなどの演奏を「なんかいいな」と感じる理由は、楽器の直接音だけではなく、その場の響きありきなんですよね。
なので、楽器をどんな空間で鳴らすのかは、すごく大事なことだと思います。
さらに言うと、全く同じ空間っていうのは無いわけで。それはスタジオの個性に繋がると思います。
ONKIO Acoustics で実現できる響き「『ちょっと違う』の積み重ねによって、最終的な楽曲って全く違うものになるんです。」
-ONKIO Acoustics では、どのような音が再現されていますか?
中内:
音響ハウスが誇る、1スタ(Studio NO.1)と2スタ(Studio NO.2)の響きです。
-1スタの響きは、どのようなものですか?
中内:
1スタは、 自然でコントロールしやすい響きです。
ストリングスやブラスセクション、ドラム、バンドもやるし、オールマイティなスタジオですね。
1スタの特徴として、リフレクターという音を反射させる板があります。これは取り外しが可能で、響きを調整できるようになっています。
なので、それもプラグイン上で体感して頂けるように機能を追加しました。
-リフレクターを使うと、どんな音になりますか?
中内:
リフレクターが全くないと、 音の余韻があまり伸びない印象です。ただ、リフレクターを全てつけても、顕著に響くわけでもなく、あくまで自然な響きがつくイメージですね。
プラグインでは、おすすめの付け方である、3種類から選べるようになっています。
リフレクターを全部つけたもの(Reflectors: Fully)、半分つけたもの(Reflectors: Half)、全てとったもの(Reflectors: None)です。
-音響ハウスを利用した時の擬似体験に近いですね
田中:
実際のスタジオではリフレクターの取り外しって、結構大変なんです。でもプラグインだと簡単に切り替えられます。
リフレクターの有無による音の差って、ごく僅かですが、明らかにやっぱり違う。特に曲を作るときは楽器を何個も重ねていきますよね。そういった時に、「ちょっと違う」の積み重ねによって、最終的な楽曲は全く違うものになります。
その「ちょっと違う」を、学生さんや、若手の方達は自分の耳で経験してほしいです。
ONKIO Acoustics で実現できる響き〜2スタの響きとは?「実際のスタジオワークを行っている自分たちの色んな意見を反映できた」
-2スタの響きの特徴は、どういったものでしょうか?
中内:
2スタは木の温もりを感じるような、暖かみのある響きが特徴です。
バンドものは2スタで録ることが多いですね。
さらに、2スタのドラムブースですが「 このブースでドラムを録るのが1番好きなんだよ」って言ってくれる人もいたり、多くの人に愛されています。小さい部屋なので、派手すぎない、程よい響きがあるんですよね。
中内:
プラグインには、ブースの中にマイクを置いているパターンと、外にマイクを置いているパターンを用意しました。
外にマイクを置いているパターンは、この狭いとこで響いてる音が、ドアを通して漏れ出てる...みたいな音になります。少しマニアックなんですけどね(笑)。
この録り方をプラグインで再現しているものは、多分他に無いんじゃないかな?
-1スタと2スタ、それぞれソースポジションというのが選択できるようになっていますが、これは何ですか?
中内:
音響ハウスで実際によく行う、音源とマイクの位置関係です。
1スタの場合は LEFT、CENTER、RIGHTの3パターン用意しています。
LEFT はいつもドラムを録る時などにセットするポジションで、1番距離を作れるので響きがよく録れるんです。そして、その逆パターンが、RIGHT。
CENTER は、アコギや歌など、単体の楽器を録る時に多いポジションです。
2スタの場合は1スタほどの広さが無いので、右向きで録ることは少ないので、CENTER、RIGHT の2種類となっています。
-色んなスタジオワークが、実際にプラグインに落とし込まれてるんですね。
中内:
今回のプラグインは、 現役の音響ハウスのエンジニアが開発に携わっているので、実際のスタジオワークを行っている自分たちの色んな意見を反映できたのはいい点でした。
中内さんのおすすめポイント「エンジニアがマイクを立てる勉強になると思います」
-中内さんがこのプラグインで一番おすすめのポイントはありますか?
中内:
マイクアングルの向きを調整できる機能です。これ、本当におすすめです。
おそらく、今の時点でマイクアングルの要素があるプラグインは ONKIO Acoustics だけだと思います。プラグインでは、「ADJUST MIC」や「MIC ANGLE」で調整できます。
-マイクアングルを変えると、どのような違いが生まれますか?
中内:
例えば、マイクアングルを下に向けると床の反射を拾っていることになるので、ふくよかな膨らみを感じる音になります。
真上に向けると少し遠くを感じるような部屋の響きが録れて、真正面の普段の状態だともう少し実音が聞こえる感じになります。
セミナーで専門学校の子に話しているんですけど、この機能はマイクを立てる勉強になると思いますね。
-本当にそうですね。
中内:
DTM ユーザーの皆さんにとっては、制作の幅が広がると思います。
もちろん打ち込みだけでも良いんですが、そこに響きがつくことによって選択肢が増えてきます。
-ONKIO Acoustics をかけるにあたって、特におすすめの楽器はありますか?
中内:
響きが重要なアコースティックなものや、楽器をより自然に響かせたいという場合におすすめです。例えば、ストリングス、 金管楽器、木管楽器など。
あと、個人的なおすすめはパーカッションです。 シェーカーとかトライアングルとか。すごく自然で、本当にその空間で鳴ってるみたいだなって思いますね。
-実際の音響ハウスで録った音に近くしたい場合は、どのように設定すれば良いですか?
中内:
プリセットにある「factory preset」は、プラグイン制作の当初の目的である「音響ハウスの響きを残し、体感してもらう」ために作ってあるので、こちらを選択していただければと思います。
それか、響きの成分を低音域、中音域、高音域ごとに調節できる BAND LEVELっていうフェーダーがあるんですけど、極論を言えばこの高音域(HIGH)を音を聴きながら馴染みがいいところまで下げるだけでも結構良くなります。
響きをデータ化したが故の特徴で、聴感上では高音域が目立って聞こえがちなので、そこを下げることで耳とデータで相違がある部分をすり合わせていくことができます。
-アップデートによって追加された匠プリセットについてもお伺いできますか?
中内:
匠プリセットは著名なエンジニアの方々が作ってくれたプリセットです。
メンバーは 飯尾芳史さん、 伊東俊郎さん、小森雅仁さん、斎藤敬興さん、采原史明さんです。
皆さん、結構攻めた設定にしてくださっていて面白いです。
プリセット名に楽器の名前が書いてありますが、関係なく色々な組み合わせをしてください。思いもよらないハマり方をする時があって面白いと思います。
プラグインで表現できなかったこと「みんなが集まることでしか起きない奇跡っていうものがあるんです。」
ープラグインで表現できなかったことはありますか?
中内:
プラグインを作って「これで音響の響きが得られるなら、もう音響ハウスに行かなくてもいいじゃん」と言われたことがあります。でも、きっとそういう風にはならないとこちら側は思っていて。
プラグインでは響きの要素は再現できているかもしれないです。でも、音楽スタジオはみんなで集まって音を出す場所なので、みんなが集まることでしか起きない奇跡っていうものがあるんです。
そういう意味では、ここで一旦このプラグインで響きを感じていただいて、音響でやってみたいなって思ったら実際に来ていただければいいなと思っています。
田中:
ボカロP に代表されるように、今は自宅の中で完結してる曲も多いと思います。
自社の映画でも、松任谷由美さんが「奇跡は自分の中でしか起きなくて、スタジオに来ると、みんなの中で奇跡が起きる」という風なことをお話してくださっていました。
スタジオマジックはどのスタジオも持っていて、音響ハウスには音響ハウスのマジックがあります。なので、いつか実際にお越しになって、是非それを体感してほしいなと。
今、都内は大きなスタジオが減少傾向にあります。
なので色んなスタジオでこういった取り組みをしていただけると嬉しいなと思いますね。
「この音響ハウスの響きを次世代へつなげていく」この言葉が印象的でした。
ONKIO Acoustics は、音響ハウスのエンジニアたちが普段の業務もある中、意見を出し合ってアイディアを形にしていったとのこと。
プラグインを通して音楽スタジオの在り方や得られる響きを次世代へ繋げるため、音楽業界の中心地とも言える音響ハウスが先陣をきって音楽制作に新しい試みをするその姿勢に、プロフェッショナルの意気込みと音への情熱を感じました。
ONKIO Acoustics 詳細
中内さんによる ONKIO Acoustics 解説動画
プロフィールご紹介
ポップスからクラシック、劇伴など幅広く担当。最近では「NEO TOKYO CITY POP」をコンセプトに掲げたピアニストはらかなこのEP『Tokyo City Pop vol.1”Portrait”』や亀田誠治が担当した映画『100日間生きたワニ』オリジナル・サウンドトラック、人気ロックバンドOKAMOTO'Sのライブツアーアルバム『OKAMOTO'S LIVE TOUR2023 Flowers』の360 Reality Audio に対応したミックスなどを行っている。
過去のMIX担当作品:https://open.spotify.com/playlist/3LRe5aihy9hfDLnFXgwiSk
所属:音響ハウス
所属年数:2003年〜
生年月日:1980年6月10日
出身:福岡
出身校:福岡スクールオブミュージック専門学校
趣味:初めての店、行った事ない場所へ行く
音楽以外での目標:体に良いツボを覚える
音響ハウス 執行役員 IFE制作技術センター長。自身もエンジニアとしてラジオやテレビの MA を担当し、音響ハウスの歴史とともにキャリアを歩む。現在も執行役員を務めながら、音楽番組などのマスタリングを手がけている。
所属:音響ハウス
所属年数:1985年〜
生年月日:1963年1月13日
出身:東京都
出身校:音響技術専門学校
趣味:庭いじり、鉄ヲタ
音楽以外での目標:自分探しの旅に出ること
住所:東京都中央区銀座 1-23-8
TEL:03-3564-4181
WEBサイト:https://www.onkio.co.jp/index.html
お問い合せフォーム:https://www.onkio.co.jp/contact/index.html
東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。