この記事では第一弾として「ミックスの方針打ち合わせ」の現場をレポート。渡辺省二郎氏のシリーズ記事は、(#渡辺省二郎氏)から一覧で飛べるので、ご覧ください。
ミックスの方針の打ち合わせは、ミックスを作業してもらう前にエンジニアとアーティスト側で楽曲の仕上げたい方向性の確認したり、お願いしたい部分を共有する大切な機会です。
参加メンバーはエンジニアとして渡辺省二郎氏(以下:渡辺氏)、アーティストである水村宏輔氏(以下:水村)、プロデューサーの3人。
打ち合わせの流れや参加者はアーティストや依頼内容により異なりますので、一つの例としてご参考にして下さい。
【今回ミックスを依頼した楽曲】
アーティスト:水村宏輔
曲名:アゲハ
【事前に共有した素材】
- パラデータ
各トラックをそれぞれオーディオデータとして書き出したもの。今回の DAW は Protools を使用しているのでセッションデータを渡しています。
- 2 mix データ
楽曲の各トラックを L と R のみにまとめたもの。今回はラフミックスを共有するためにお渡ししました。
- リファレンス曲
楽曲をどのように仕上げていきたいか、方向性のイメージを共有するための手段として示される既存の参考曲のこと。
「ドラムの音質はこの曲の A メロのような」、「このボーカルの処理はこの曲のサビのような」など、細かく表現を共有できます。
楽曲イメージの共有
まずはアーティスト側から楽曲の方向性や曲の世界観を共有をしていきます。
水村:
この曲は『アゲハ』という曲で、主人公が感じる寂しさの中に見えている世界を表現しました。
主人公には昔付き合っていた忘れられない人がいて、彼女と離れてから世界が変わって見えてしまっています。主人公が感じている一人ぼっちの世界の中で、頭の中で彼女と一緒に歌っているというイメージです。なので主人公である自分のボーカルと、忘れられない人の役として初音ミクを入れて、二つをユニゾンさせています。
プロデューサー:
その落ち込んでいる状態の彼が見ている世界は、今まで彼女がいたときに見ていたような世界ではなく、陽の光の色が変わって見えてしまっていたり、人がいるはずなのに居ないように感じていたり。何か世界に大変なことが起きて街の風景が変わってしまったかのように、日常が非日常の風景として写ってしまっている状態を妄想的に感じている主人公がいます。
その主人公の中にずっと残り続けているのが、今まで大事に思っていた彼女との思い出です。
彼女の声がいつも脳裏に聞こえている状態を表現するために、リードボーカルとユニゾンで初音ミクに歌わせています。
リスナーに与える印象の共有
楽曲を制作する上でリスナーに与える印象を考えることは大切なことです。
自分の表現したい音楽を実現するために、曲を聞いた人がどんな印象を受け、気持ちになって欲しいかを伝えます。
プロデューサー:
リスナーに与えたい印象は、空虚感や切なさがありつつも、どこか精神的な異常に苛まれている刺々しさです。一方で「どこかそういう気持ちってあるよね。」という共感も感じてもらいたいですね。
最近ではダンスミュージックにも色んなジャンルが増えて、音質もクリアで解像度が高いトラックで構築された曲も多いと思います。ですが、この曲は主人公のノスタルジーな部分も味わい深く表現したいので、ビンテージ感や空間の広がりをうまく表現して主人公が見ている世界に寄り添えるような音像にしたいと思っています。
ボーカルトラックは、主人公の中で色々な感情が巻き起こっているのを表現する為に、リードボーカルに対してたくさんのコーラストラックを入れてみました。初音ミクと二人で並んで立って歌っているような印象を与えたいという狙いで、デモのラフミックスではなるべくリードボーカルと同じ位のバランスで初音ミクにも歌わせています。
ミックスでどのように仕上げて欲しいか
渡したデータは現時点でどこまで完成しているか、また今回ミックスで楽曲をどのような方向性で仕上げて欲しいかを伝えます。
プロデューサー:
ラフミックスを作ってはみたのですが、サウンドを狙い通りに研ぎ澄ましていくなかで、虚無感や刺々しい感じをより強烈に感じられるような作品に仕上げていこうとしたときに、自分たちだけではどうしても限界がありまして。
そこで省二郎さんのお力をお借りしたいという部分がメインのお題となります。
渡辺氏:
なるほど。リアリティのある音像というよりは、作られた空間のようなものを感じても良いですよね?
脳の中で作り上げられた空間みたいな。簡単に言えばイカれているような。
プロデューサー:
そうです。内に秘めたものがあって、不恰好だけど思いっきり来られて心を動かされてしまうようなものになればと。まさに作られた空間のようなものを感じられたほうが、狙いに近づけるのではと思います。
渡辺氏:
広がりがある、オルタナ感みたいな?
プロデューサー:
そうです。
お送りしたセッションデータは、そういった広がりのあるオルタナ感を狙った音色作りまでは出来ている状態です。レベル調整とかは少々甘いところがあると思いますが…。
曲を作るための EQ などは全くかけていなくて、各トラックの音色はこんな感じがいいかなというところを水村と二人で決めていったという感じです。
渡辺氏:
全然大丈夫です。
お願いしたいところの詳細を共有
事前にお送りしているリファレンス曲を例に挙げ、具体的な内容を詰めていきます。
プロデューサー:
今回の楽曲のトラックは基本的にモノラルのトラックで全部並べてますが、音の広がりをもたせるために Doubler(※1)を使ってステレオトラックにするなど、そういったことは全然やっていただいて大丈夫です。
(※1)Doubler。Waves Doubler というプラグイン。モノラルの素材をステレオ素材のような広がりのある音像に仕上げる、ダブリング効果を得るために使用される。
渡辺氏:
はい。広げるのは空間系や Doubler を使ったりしますけど、パッと聞いた感じではドラムの音色をもう少し足したりしてもいいかなと思いますね。
プロデューサー:
ぜひお願いしたいです。
渡辺氏:
ドラムが若干詰まって聞こえてて。
あまりクリアにする必要はないというのも今お伺いして分かったんですが、もう少しエモーショナルな感じをドラムが出せたらなとは少し思いましたね。
プロデューサー:
なるほど。ちなみにミックスの作業に入るまでに、ドラムをもう少しエモーショナルにする場合…
渡辺氏:
こちらでやりますよ。
プロデューサー:
ほんとですか。今ある素材で行けそうですかね?
渡辺氏:
今の素材をトリガーにして違うドラムの音色を足してみたり、試行錯誤はしてみようかなと思っています。
プロデューサー:
嬉しい。ありがとうございます。
ボーカルのトラックですが、ここが一番こだわりたいところなんです。
主人公のボーカルと初音ミクのボーカルが二人揃って並んで歌っている感じを、どうにか出したいです。曲のテーマでもあるので。二人の距離は近いけど、頭の中なので少しぼやっとしているというか。
その相反するシチュエーションみたいなのをうまく混ぜて出せないかなといったところに、是非アイディアを頂きたいです。
渡辺氏:
二人の人格が明確に聞く人に伝わった方がいいわけですもんね。
かつ、男の人は実在するけど女の人は若干空想というか。
その辺は音の広がり方を変える事でキャラを二人分意識させながら、違う世界にいる感じを出すことは出来そうな気がします。
プロデューサー:
本当ですか!
初音ミクの歌い方も、メインボーカルに限りなく近くなるように歌い方を寄せてみたのですが、メインボーカルと初音ミクの響きに関しては省二郎さんにおまかせしちゃおうかなって。(笑)
渡辺氏:
大丈夫だと思います。
あと、響きのリファレンス曲として頂いていた曲に関してお伺いしたいです。
プロデューサー:
リファレンス曲はトルネード竜巻というアーティストの『恋にことば』という曲で、57秒あたりからくるリバースのかかったディレイが跳ね返ってくるようなエフェクトを C メロのところで使いたいなと思っていて。
C メロの歌詞は主人公が喪失感に浸っているところから前に向き始める内容なので、その辺で主人公(メイン)の声も初音ミクの声も跳ね返ってきて気持ちが前に押されるような感情を表現できたらなと。
渡辺氏:
リファレンスとして提示いただいた時、トルネード竜巻の曲に聞き覚えがあって、調べたら僕がミックスしてました。(笑)
あの処理も俺が作ったんですよ。
プロデューサー:
本当ですか!あれどうやったんですか!(笑)
渡辺氏:
良く使う手法なんですよ。
作った本人がやるんで間違いないと思います。
プロデューサー:
よろしくお願いします!
あと、最後にある初音ミクのソロは違う質感に変えたいなと思っていて。
渡辺氏:
全体が広がりのあるサウンドの空間になっていれば、そこ部分のみドライに仕上げるだけでも違うと思います。そこだけ夢から覚めたみたいにはなるかな。
プロデューサー:
そうですね、とてもいいとおもいます。
ボーカルで変化が欲しいところとしては先程お伝えしたCメロの部分と、一番最後の初音ミクのソロのところです。
渡辺氏:
大体わかりました。
追加でオーダーがあれば遠慮なくメール下さい。
プロデューサー:
ありがとうございます。
あと、ドラムの音を今回は splice (※2)からとってきて、ステレオの素材をモノラルに分割して使っていますが、どう仕上げていくか少し迷っていまして。
(注2)splice。サブスク型の音源配信サービス
渡辺氏:
少し混沌としているので、もう少し個々の粒が見えた方がいいなとは思います。
素材を足して、かつあまりクリアにならないように気をつけながらやっていく感じがいいと思います。
プロデューサー:
お送りしてたサカナクションの『ワンダーランド』というリファレンス曲ですが、ドラムにスネアロールを使っている楽曲で音色のイメージが近いものとして挙げさせて頂いたんですよ。
渡辺氏:
全体のドラムの感じではなく、スネアのロールの部分はあんな感じということですか?
プロデューサー:
そうですね。
リファレンス曲はドラムの各パーツの主張が今回のイメージに近いのかなと思っていて、完全にリファレンスの音作りに寄せていくというよりは、ロールと合わせた時のキックのトラックだったりシンバルのトラックだったりの主張具合が近いとベストです。
セッションデータに入っているスネアロールのトラックは音色は良いのですが、少し派手気味なアクセントが付いてしまっているので、もう少し主張しすぎないような素材にセレクトし直した方が良いかなと思っています。
バスドラや他のシンバルなどの相性もまだ散漫になっている感じがしていると思っていて。
渡辺氏:
これに関しては MIX の処理でなんとかなるかと思いつつ、実際の2拍目と4拍目が入って来た時の感じをもう少し迫力と広がりみたいなのは出したいなと思いました。音はもう少し粒立てて良いですかね?
プロデューサー:
はい、粒立てていただいても全く問題ないです。
渡辺氏:
なるほど、わかりました。
プロデューサー:
曲のテーマとして出したいとしてる、聞いた人が「痛々しくて触れない」ような感じは、ギターやドラムのトラックでも演出するような手法をとっていただいても全然大丈夫です。
渡辺氏:
ギリギリ行っているような感じですね
プロデューサー:
はい。でも悲しさや痛々しさを感じつつも、でも見捨てられないというのも合わせてお願いします。
渡辺氏:
昔のスーパーカーみたいな感じもいいですよね。
プロデューサー:
はい、よろしくおねがいします!
今後のスケジュールの確認
最後に今後のスケジュールの確認です。
ミックスの方針の打合せが終わったら、次にエンジニアと対面するタイミングは完成したミックスの最終チェックする場面となります。
渡辺氏の場合のミックス作業の流れは、スタジオでミックス用のデータを流し込み、ある程度の作業をしたあと、データを自宅に持ち帰り作業を行うとのこと。自宅での作業完了後、改めてスタジオで最終的な作業を行い、その後立ち会いでのミックスチェックとなります。立ち会いでのチェックで問題がなければそのまま納品、修正したい箇所があればそのままスタジオで作業という流れを確認して今回の方針打ち合わせは終了となりました。
特別インタビュー
渡辺氏にクライアントとの打ち合わせについてお聞きしました。
-ミックスの方向性の打ち合わせの重要性について教えて下さい
僕がミックスする上ではアーティストとクライアントの意向が第一です。ものを作っている人の意向と、そのお金を出している人の意向。その2つです。
エンジニアは自分の作品って言いがちですが、エンジニアの作品ではなくあくまでアーティストの作品なので、その意向を確認するための打ち合わせです。
-アーティストと音のイメージを共有する時に、食い違いがないように気をつけていることや大切にしていることはありますか?
こちら(エンジニア側)がちゃんと翻訳機能を持つべきという事ですね。
アーティストの方がエンジニアに具体的な指示を出せたら自分でやっていると思うんで。
なので、抽象的なぼんやりとした感じでいいので、言いたいことを全部言ってもらえればと思います。
あと、プロデューサーがいる場合はまた少し変わってきますね。
プロデューサーはアーティストの意向を汲み取って、それを具体的な人に手配したり指示を出したりする司令塔なので、その人が翻訳機を持ってくれるんですよ。なので、自分たちはプロデューサーがいる方が楽ではあります。
-依頼時や打ち合わせ時などでアーティストサイドに求めることはありますか?
ぼんやりしてて全然いいです。データも必要なものが足りなければ、こちらからお願いするので。
まとめ
以上、ミックス方針打ち合わせ編でした。
今回のミックスの方針打合せでは、話す内容は大きく分けて以下の4つありました。
- 楽曲の方向性の共有
- ミックスでお願いしたいポイントのリクエスト
- 渡した素材に対してどこまで手を加えてよいかの共有
- 今後のスケジュール確認
アーティストとエンジニア間でのイメージ共有は、ラフミックスやリファレンス曲を用意したりするだけではなく、リスナーが聞いた時に受ける印象を共有するのも一つの有効的な手段ですね。
続編では今回の依頼したミックスの完成を確認する「ミックスチェック」の現場レポートをしています。合わせて是非ご覧ください。
プロフィールご紹介
渡辺省二郎氏
約40年のキャリアを持ち、今もなお第一線で活躍するエンジニア。
星野源、東京スカパラダイスオーケストラ、佐野元春など、様々な有名アーティストのレコーディングやミックスを手がけ日本のメジャーシーンを支えている。
渡辺省二郎氏のInstagramはこちら
水村宏輔氏
ロックバンド「 Loafer 」ギターボーカルを担当し、ほぼ全ての曲の作詞作曲を手がける。
現在は水村宏輔プロジェクトと題する、ソロプロジェクトを主に活動中。今回の楽曲『アゲハ』も同プロジェクトの一環である。
また、プログラマーとして ONLIVE Studio の開発にも取り組んでいる。
東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。
Masato Tashiro
プロフェッショナルとして音楽業界に20年のキャリアを持ち、ライブハウスの店長経験を経て、 2004年にavexに転職。以降、マネージャーとして、アーティストに関わる様々なプロフェッショナルとの業務をこなし、 音楽/映像/ライブ/イベントなどの企画制作、マーケティング戦略など、 音楽業界における様々な制作プロセスに精通している。 現在はコンサルタントとして様々なプロジェクトのサポートを行っている。