ブルースの成り立ち〜時代背景を時系列で

ボトルの先端部分を指にはめて滑らせるスライド・ギター、ウィスキー、しゃがれた声、そして哀愁漂う歌...。ブルースと聞くと、そんなイメージを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか? では、ブルースとはどんな音楽なのでしょうか。その成り立ちと歴史的背景を紐解くことで、ジャンルへの理解が深まります。

Nami
Nami
(更新: )6min read

ブルースとは?

ブルースは、19世紀後半にアメリカ南部のアフリカ系アメリカンのコミュニティで生まれた音楽ジャンルです。

”ブルース”という名称は、英語の俗語である“blue devils”に由来すると言われています。この言葉は、酒の離脱症状による不安や気分の落ち込みを表す言葉でしたが、やがて「憂鬱な気分」を指すようになり、音楽の名称へと定着していきました。

ブルースは歌が主役の音楽です。日常の出来事や内面の葛藤、日々の苦悩に対する嘆きなどが、主にアコースティック・ギターの伴奏に乗せて歌われます。

サウンド面での特徴は次の通りです。

  • ブルース進行:I7 、 IV7、V7 といったセブンス・コードを中心とした12小節の基本構造。
  • ブルース・スケール(ブルー・ノート):スケール上の3、5、7度を微調整(半音下げるなど)して感情を表現する音階。
  • ボトルネック奏法(スライド・ギター):瓶の首や金属管を指にはめ、弦の上を滑らせて独特のニュアンスを出す奏法。

ブルースはのちに、ジャズや R&B、ロックンロールへと発展し、今日のポピュラー・ミュージックにおける重要な源流の一つとなりました。
そんなブルースはどのようにして形成されていったのでしょうか。

ブルースの前身となった音楽〜奴隷制度の中で生まれた響き

ブルースが誕生する背景には、当時の流行歌をはじめとする多様な音楽が存在していました。なかでも特に強い影響を与えたのが、フィールド・ハラーや黒人霊歌(スピリチュアルズ)、そしてヨーロッパ由来のバラッドです。

Photo by Trisha Downing / Unsplash

フィールド・ハラー(労働歌)

18 世紀〜19 世紀後半にかけて、アメリカ南部では綿花プランテーションが主要産業であり、アフリカから多くの人が労働力として強制的に連れてこられました。

アフリカをルーツに持つ人々にとって、音楽は宗教や日常生活と密接に結びついていました。彼らは過酷な労働を耐え抜くため、作業のペースに合わせて仲間と即興で歌いました。これがフィールド・ハラーと呼ばれる労働歌です。

黒人霊歌(スピリチュアルズ)

過酷な状況下で、アフリカ系の人々は次第にキリスト教の布教を受け入れていきます。その結果、アフリカの伝統的なリズムや歌唱法と、キリスト教の賛美歌が融合して生まれたのが黒人霊歌です。信仰への希望や自由への渇望が、深い歌声となって響き渡りました。

バラッド(ヨーロッパ民謡)

アフリカ系以外の要素もブルースに影響を与えています。19世紀半ばの大飢饉などをきっかけに、アイルランドをはじめとするヨーロッパからの移民がアメリカへ渡ってきました。彼らの多くもまた、鉄道建設や炭鉱といった低賃金・過酷労働の現場でアフリカ系アメリカ人と隣り合わせで働くことになります。彼らが母国から持ち込んだ物語歌、バラッドの形式やメロディ・ラインもまた、ブルースの物語性に反映されていきました。

南北戦争と奴隷解放宣言

これらの要素が合わさり、どのようにブルースという形へと結実したのでしょうか。大きなきっかけとなったのは奴隷解放です。

19 世紀半ばのアメリカは、商工業を中心に経済発展した北部と、奴隷労働による綿花栽培に依存する南部とで社会的構造が大きく異なっていました。
アフリカ系アメリカ人の約 90% が南部に集中しており、奴隷制をめぐる南北の政治的、思想的対立は 1861 年の南北戦争へと発展します。

激戦のさなか、1863年に当時大統領だったエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を発令。1865年に北部が勝利したことで、法律上は奴隷制が廃止されました。

南北戦争後〜ブルースの誕生と発展

奴隷制度から解放され、アフリカ系アメリカ人たちは初めて個人の自由な時間を手に入れました。しかし、奴隷解放宣言があったからといって、差別や偏見がすぐに消え去ったわけではなく、低賃金などによる経済的困窮や厳しい環境は依然続いていたのです。

彼らは当時手に入れやすかった安価なギターを手に取り、個人の苦しみや日常の感情を歌い始めます。集団で歌われることが多かった、労働歌や黒人霊歌に対し、ブルースが一人の人間が個人の内面を歌うというスタイルを持つのは、こうした歴史的背景があります。

初期のブルースは、特にアフリカ系人口が多かった南部、ミシシッピ州のデルタ地域やテキサスなどを中心に広まりました。

その後、20世紀に入り労働者が仕事求めてシカゴなどの北部都市部へ移動したことで、シカゴ・ブルースをはじめとする多様なスタイルへと発展していきます。

世間への認知〜記譜と録音

初期のブルースは口承で受け継がれていましたが、1900 年代に入ると南部ローカルの音楽から商業的な音楽へと広がっていきます。

ブルースの父と呼ばれる作曲家、W・C・ハンディは、1903 年にミシシッピ州を旅行中、スライドギターを弾きながら歌うストリート・ミュージシャンと出会い衝撃を受けます。
彼はブルースの構造を楽譜におこし、1912 年に『The Memphis Blues(ザ・メンフィス・ブルース)』、1914 年に 『Saint Louis Blues(セントルイス・ブルース)』を発表。これらは全米で大ヒットし、現代でもジャズのスタンダード・ナンバーとして親しまれています。

さらに1920 年代に入ると、アフリカ系アメリカ人のリスナーを対象とした「レース・レコード」と呼ばれるマーケットが成立します。
その中でも、1920年の Mamie Smith(メイミー・スミス)『Crazy Blues(クレイジー・ブルース)』の大ヒットは、ブルースがレコードというメディアに乗って商業的成功を収めた象徴的な出来事となりました。

初期を代表するブルース・ミュージシャン

初期のブルースは口頭伝承が中心だったため、1920年代の録音技術普及以前の記録は多くありません。しかし、SP盤に刻まれた彼らの演奏は、後のロックやジャズのミュージシャンたちに決定的な影響を与えました。

そのため、現在耳にできるのは 1920 年代以降に録音されたものが中心です。また、1920 年代に普及したレース・レコードは不況により一旦幕を閉じますが、1960 年に再びブルースが注目を浴び、多くの楽曲が再録音されました。

以下に比較的初期に活躍したブルース・ミュージシャンの一部をご紹介します。

  • Blind Lemon Jefferson(ブラインド・レモン・ジェファーソン)

1893年9月24日 - 1929年12月19日、テキサス州出身の盲目の(諸説あり)シンガー/ギタリスト。

生涯で 110 曲以上のレコーディングを行い、商業的成功を収めたはテキサス・ブルースの父。Lightnin' Hopkins(ライトニン・ホプキンス)から、Louis Armstrong(ルイアームストロング)まで、幅広いジャンルの巨匠に影響を与えた。

  • Leadbelly(レッド・ベリー)

1888年1月23日 - 1949年12月6日、ルイジアナ州出身。Blind Lemon Jefferson と行動を共にし演奏スタイルを磨く。

12弦ギターを弾きこなし、ブルースのみならず後のフォーク・ミュージックのシーンにも大きな功績を残した。

  • Robert Johnson(ロバート・ジョンソン)

1911年5月8日 - 1938年8月16日、ミシシッピ州出身。生前は大きな商業的ヒットに恵まれなかったものの、その洗練されたギター・テクニックと楽曲は死後に再評価され、ロックの殿堂入りを果たした伝説的ミュージシャン。

  • Charley Patton(チャーリー・パットン)

1891年4月 - 1934年4月28日、ミシシッピ州出身。デルタ・ブルースの父と称される人物。ダミ声のような力強いボーカルとギターを叩くパーカッシブな演奏スタイルで、初期デルタ・ブルースの基盤を築いた。


まとめ

ブルースの成り立ちには、アメリカの悲劇的な歴史と、過酷な環境を生き抜いた人々の生き様が深く結びついています。

ミュージシャンたちの壮絶なエピソードを知るのも、ブルースの深い魅力の一つです。特に Robert Johnson のクロスロード伝説などは、今なお語り継がれています。

クロスロード伝説とは、Robert Johnson は元々音楽的には飛び抜けた才能がなかったものの、Robert Johnson が十字路で悪魔と契約し、寿命の代わりにギターの技術を手に入れたという噂話です。

現在でもミシシッピ州のクラークスデイルの国道 61 号線と 49 号線が交わる“クロスロード”には、伝説を象徴する大きなギターのモニュメントが設置してあり、世界中の音楽ファンが訪れる聖地となっています。

奴隷制度が終わっても差別や苦しい状況を強いられた、アフリカをルーツに持つ人々。
苦しい逆境の元でもカルチャーを生み出し、音楽に多大な影響を残す力は、音楽と密接な繋がりを持つ遺伝子によるものなのか、苦しいからこそ生き抜く上で必要だった力なのか...。
どのような理由かは分かりませんが、このような歴史的背景が産んだ産物ということは、知っておくとまた捉え方が深くなるのではないでしょうか。

Nami
Written by
Nami

東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。

More from ONLIVE Studio blog

Register Now

ONLIVE Studio で
音楽制作しませんか?

プロフェッショナルに音楽制作のサポートを直接依頼できます!

登録プロフェッショナルも募集中!

ONLIVE Studio →