ベテランエンジニア・天童淳氏のスタジオワークを紐解く

井上陽水、岩崎宏美、財津和夫…など、名だたるアーティストの作品に携わってきたエンジニア・天童淳(てんどうじゅん)氏。 今回は、40年以上のキャリアを持つエンジニアである天童氏に、お仕事のやり方や、仕事の極意をお伺いしました。

Nami
2023-11-2910min read

レコーディングの準備について

Main Floor @ 一口坂スタジオ 1st(天童氏ご提供写真)

-レコーディングをする前はどのような準備をされますか?

使用するスタジオが決まった段階で、まずはアレンジャーやプロデューサーから楽器編成を確認します。
楽器編成が分かったら、スタジオごとのレイアウト図面と、自分で作った楽器の雛形があるので、Illustrator 上でそれらを動かしながら楽器やマイクのセッティングや、使用するブースを検討するんです。そうしてある程度考えがまとまったら、マイクの立て方や本数、マイクの種類、 置き場所を Illustrator の図面上で全部指定して PDF にしておきます。
その PDF に加えて、各楽器に対するマイクの名前、立ち上げ方、立ち上げる順番をまとめた表もあるので、この2つを事前にスタジオに送っています。

-スタジオに入る前に、ある程度伝えておくんですね。
当日はどれくらい前にスタジオに入ってご準備をされるんですか?

当日の準備はケーブル引き回しがあったり、パッチボードを使ってないのでセッティングに時間がかかるんですよね。他にもプリアンプなどの持ち込む機材も色々あったりするなかでスタジオの人と相談しながらセッティングを進めるので、スタジオで録るときは2、3時間ぐらい前に入ることもあります。
場合によっては、アレンジャーやプロデューサーがその時点でいらっしゃるので、その時は楽器の音をもう1回そこで確認して相談したりします。
スタジオでの準備はそれくらいですね。

-ケーブルの引き回しや、パッチボードを使用しない、といったセッティングの部分について詳しく教えていただけますか。

ケーブルによっても音の変化があるからですね。イメージとしてはシャワーヘッドが違うと、水の出具合や触った感触が変わるのと同じ感じというか。例えば、コンソールが同じだとしても、スタジオごとに使用しているケーブルが違うし、電源も違う。他にも色んな条件の違う環境で作業をすると考えた時に、ある程度ケーブルを持ち込んだり、 ケーブルを繋ぐ順序を気にする必要が出てくるんですよね。
ピンボードを使用しない理由も、そういった意味で、ケーブルが細くなっちゃうので。
あと、セッティングの面では、プリアンプを置く場所もひと工夫しています。プリアンプは、楽器を演奏するレコーディングブース側に置いてます。その理由は、マイクで拾われた微弱な電気信号が、何十メートルも壁の中を這ってるケーブルを通してコントロールまで来て音が増幅されるのと、増幅までの距離をなるべく短くという意図でスタジオ側においた場合では、その鮮度というか、音の輪郭が 全然違うんですよ。

-そのようなことも加味されながらセッティングを行うのですね。

事前にそういったことを吟味してセッティングしているので、実際に音を出してなんか違うなって思ったら、あとはマイクの位置やプリアンプとの相性だっていうのが分かるんですよね。

-レコーディングする曲はどれくらい前から聴かれますか?

場合によっては、クライアント側がスケジュール的にバタバタしていることもあるので、ラフミックス、もっと言えばデモを当日に聞かせてもらうこともあります。

-それでは、曲を聞き込んでいるわけではないのですね

僕は先入観を留めすぎちゃうところがあるので、先入観がない方がその場で出てきた音に反応しやすかったりもします。逆に言えば、長年プロやってるとそこが強みっていうか、違うのはすぐ違うなって分かっちゃうので。
あと、最初に聞いて感じた聞こえ方の第一印象は、大事かなと思います。
例えそれが簡素なデモテープであっても、作り手側の「こういう風に聞かせたい」っていうニュアンスが自然に現われているんじゃないかなと思っているので。
自然に淘汰されてるものを第一印象として受け取って、最後にミックスして完成させた時にその印象に近ければ良いかなと思っています。 一方で、第一印象でダメだなと思った部分はあんまり残さないんですけどね。

加えて、プロデューサーやディレクターから当日レコーディングする曲の雰囲気を伝えてもらえるので、それを基本にしてマイクの立て方だったり、楽器の鳴らし方を変えて録ってみたりします。

-使用するスタジオはどのように決めますか?

使用するスタジオは、私が提案する時もあれば、アーティストやプロデューサーから指定される時もあります。大体半々くらいですかね。
私が提案する場合は、まずはレコーディングする曲の編成やコンセプトを聞きます。例えばリズムベーシック(※1)は少なくても、弦楽器が大人数だったり、ブラスのダビングがある時は、そこは分けて考えちゃいますね。あとミックスは別のスタジオでやったり。
それから、スタジオの方に私から「こういう曲を録りたいんだけど、どのぐらいの予算でできますか」って相談してみて、その内容を一回持ち帰って、クライアントに打診してみるという流れです。

(※1)リズム・ベーシック。リズムの土台を作る楽器。基本的にはドラム、ベース、ギター、キーボードを指す。

コミュニケーションについて

Control Room @ Sound City Setagaya(天童氏ご提供写真)

-プロデューサー、アレンジャー、ディレクター、ミュージシャン...お仕事上、様々な人と仕事で接する必要があると思いますが、コミュニケーションで大切にされていることはありますか。

例え波長が合わない人だとしても、自然体で自分が感じることを感じるままに喋る。別に無理もしたくないし、反対に難しくもいたくないからね。

こちらのブログ( ONLIVE Studio blog )に書いてあったけど、コミュニケーションの基本っていうのは、相手に対する敬意や、人として最低限守るべきものが必要だと思うんですよ。相手を見下してると、コミュニケーションは絶対にうまく取れないと思いますし、コミュニケーションがいかに確実でスムーズかっていうことで、プロジェクトの行方が決まる部分もあると思います。

あと、自分とは反対意見が出た時に、まず一回それを自分の中に吸収して、消化できるまで噛んでみてから答えを出していくのが、プロとアマの違いかなとも思いますね。
ある人が「求められたものを答えてあげるのがエンジニアだから、ある意味全員サービス業でもある」と書いていて。一方で職人っていう面もある。だから、その両者のバランスがエンジニアには必要かなと思いますね。

-様々な方達と関わる中で、「この人すごいな」と思うような方はいらっしゃいましたか。

全員をしっかり見れて、そのまま任せきっている人ですね。 プロデューサーに多いんですけど。
今までにすごいなって思った人は自分の中でしっかりと世界観を持ってるから、仮に相手が異なった捉え方をしていても、それに対する変化を喜ぶんですよね。
現場で起きたことはその時にしかないことだから、それがもとの意図とは違ってもそれが良い時もあるんですよ。そういった理由で、いちいち認識のズレを自分に合わせる必要ないっていうポリシーの人は、やっぱりすごいなと思いますね。

多分 George Martin (ジョージマーティン)(※2)もそういう人だったんじゃないかなとも思いますね。『 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(※3) 』 とか、中後期以降の The Beatles (ザ・ビートルズ)っていうのは、結局はメンバーだけじゃ作れない音で、George Martin やエンジニアが、スタジオの機材を作り変えてまでも作ったことによってできた音っていうのがたくさんあったのかなって。

(※2)George Martin (ジョージマーティン)。プロデューサーとしてほぼ全てのビートルズの作品に関わり、音楽業界に偉大な影響を与えた人物。「5人目のビートルズ」とも称される。

(※3)Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 。1967年に発売された、ビートルズの8枚目のアルバム。音楽界に大きな影響を与えた革命的な名盤。

-変化を楽しむって素敵ですね。意外と難しそうです。

私が駆け出しの時、ドラムの音が自分の理想にならなくて煮詰まってたら、大御所のアレンジャーの方に怒られたことがありました。
その人は「今日録った音がスタートで、俺はその音から始めてアレンジするんだから、そこでドラムの音が理想通りにならなかったなんて気持ちは必要ないから気にするな」と言っていました。 それで、エンジニアのエゴを思い知らされたっていうか。
私が未だに尊敬する人たちは、そういった自分の枠に押し込めるんじゃなくて「君たちが作ってくれたのを整理整頓してまとめるのが俺の枠だから」みたいな人。ちょっと言葉では表現しきれないかもしれないですね。

自宅(宅録)とスタジオレコーディングについて

Solid State Logic SL4064G+ Module @ ONKIO HAUS 6st(天童氏ご提供写真)

-自宅でレコーディング(宅録)する人も多くなっていますが、スタジオレコーディングとの違いは何だと思われますか?

たまにスタジオでやっていると、不思議なことが起こるんですよ。いわゆる「スタジオマジック」というか。
ある程度各楽器のバランスをサウンドチェックの時に決めて、じゃあ1回合わせてみようとなった時に、既にバランス取れてる時があるんですよ。しかも、それがめちゃくちゃかっこいい。これは、その場で出た音にミュージシャンやエンジニアが一人一人反応して、その反応が絶妙なバランスで混ざって化学反応が起きているのかなって思っています。
だから、当日出てきた音は、もしかしたら事前に貰う情報なんかよりもすごく大事かなって。

-確かに、その場でミュージシャンがお互いの音を聞いていることは、音に影響がありそうですもんね。

自分1人で作らない音楽の良さっていうのは、 やっぱりそこかな。
もしかしたら古くからある名曲と言われてる曲の良さの一つに、スタジオマジックもあったんじゃないかなって思うんですよね。
そのスタジオで、その時にいたメンバーで録った音じゃなきゃ作れない音があったというか。
だから、そういうことが起きたらその時のフェーダーのバランスはどうなったかとか、PAN の位置はどうだったかとか、必死にメモりまくりますよ。
このスタジオマジックが起きる前提として、先ほどお話したプリアンプの位置だったり、ケーブルは既に吟味してある状態だから、 楽器の音っていうのはもうそこである程度作り込んであるに等しくて、その時出てきたサウンドはある程度の答えかなと思っています。

Focusrite Studio Console @ Sound City Setagaya(天童氏ご提供写真)

-コンソールとPro Tools で違いはありますか?

7、8年くらい前は Pro Tools の中だけでミックスしてた時期もありましたが、ある時音の限界を感じて。
曲が商品になった時にはその差は分かりにくいんですけど、やっぱりデジタルで数値的に処理してる音は、 極端に言ってしまえば「ボーカルのレベルを上げました」「定位を変えました」みたいな命令が DSP(※4)に行って、DSP の中で 処理をしてオケの中に反応してくれてるだけであって。それが積み重なってオケとして出た時に「なんでここであの音が聞こえなくなってんのかな」とか、「なんで歌がもっとこう広がんないのかな」とか、色んな壁に当たって。
コンソールだと電気信号が混ざるから、フェーダーをほんのちょっと上げただけでも反応するので、オケ全体の音圧感が変わるんですよ。でも Pro Tools だとフェーダーをあげたら音量はでかくなるなとは思うんですけど、 いくら頑張っても音圧が変わる感じはしない。
その音圧の正体は何って聞かれたら説明が難しいですけど、それは DSP じゃなかなか表現できなくて。これは、絵で例えると、油絵にある絵の具が塗り重ねられて自然にできた影や浮き出た煌めきの表現みたいなことだと思います。
なので、Pro Tools のデメリットはここですね。油絵のあのでこぼこした筆の感じって、やっぱりアナログコンソールの方が出しやすい。
そうなった時に、もう一回初心に戻って、Pro Tools は単なるハイレゾでレコーディングできる、96kHz 24bit のレコーダーとして割り切って使ったり。
そこが結局、スタジオ選びをするときにも関係してきたりしますね。

(※4)DSP( Digital Signal Processor )。アナログ信号をデジタル信号に変換し、そのデジタル信号を処理する専門の処理装置。

-反対に、Pro Tools を使うメリットは何だと思いますか?

Pro Tools でミックスする最大のメリットは、ラフミックスの延長でミックスしていけることですね。
卓でラフミックスを作ってもバラさなきゃいけないから、本ミックスの時に再現性がなかったんですよ。
以前卓でラフミックスを作って、 クライアントが家に持って帰って聞いたら、ラフミックスをずっと聞いちゃうんだよねって言われて。つまり、ラフミックスの方が本番のミックスより良いよねってことが起きちゃって。そう言われた時はすごいショックでした。
日にちを改めてミキシングすると、やっぱり日にちも経って感覚も変わってるから冷静になっちゃう面があるんですよね。
Pro Tools の場合は、ラフミックスを活かしたい時は、ほかのダメなとこだけを直せばいいみたいな。

-コンソールで感じるデメリットはありますか?

アナログのデメリットもいっぱいあるんですよ。モジュールごとに音が違うから、それを肯定的に捉えなきゃいけない。なので、楽器を隣のチャンネルに立ち上げただけで音が変わっちゃうのが許せない人は無理だと思う。
各楽器のチャンネルをいつものチャンネルから変えると、なんだか変に感じる時があるし、こういったアナログならではの音の変化がデメリットといえばデメリットですね。

完成とは チェックの仕方〜調整

Solid State Logic SL4064G+ @ ONKIO HAUS 2st(天童氏ご提供写真)

-天童さんが思う「完成」とは何でしょうか。

極論を言ったら完成って無いに等しいんですよね。次の日に聞いたら聞こえ方変わっちゃうし。
プロとして1つ言えるのは、その時の最高のものができたら、それを最高とするしかないということです。
ただ、「自分の中で最高はまだない」とも思いたいです。「これが最高だ」と思っちゃったらもうそれ以上作れないけど、「まだ最高じゃないな」と思ったら次があるじゃないですか。

ミックスが Pro Tools でも、コンソールでも、聴く媒体が CD でも、iPhone でも、最終的には空気を響かせるって上ではアナログになるんですよ。
僕が子供の時の聞き方って、音質とかそういうものじゃなく、 かっこいいか悪いかっていう、結局は感覚というか。その感覚に訴えるには、やっぱり感覚で作るしかないかなと思っていて。そこは難しくて、例えばいつ聞いてもかっこいいって思えるように頑張るのは、人それぞれ感じ方も違うし、その時々で感じ方も違うから無理だと思うんです。
だから、その時の感覚をその時の瞬間として固定されたもので聞かせて、とにかくそれをいっぱい残していくしかないと思うんですよ。

でも、何年か経って聞いてもいい曲って良かったりするじゃないですか。それってやっぱり超越した部分まで達してるっていうか、それはある意味完成系にすごく近いんじゃないかなって思います。

-ミックスのチェックはどのようにされていますか?

ミックスのチェックは朝一で聞いています。朝だと頭がまっさらな状態だから、よく音が見えて。夕方になると、その日の感覚が自分の中に入っちゃっているんですよね。

あと、ジャッジとして音を聴く場所は、自分にとっては家で長いこと聞いてきたスピーカーが一番良いです。
なので、スタジオでコンソールを使ってミックスしている時は、コンソールはそのままにして「家のスピーカーでチェックしてからバラしてもいいですか」ってお願いすることがあります。
一応、コンソールには「トータルリコール」っていう、つまみの場所をコンピューターで覚える機能もあるんですけど、ポジションを覚えてるだけだからアナログのちょっとした変化は覚えられないんです。なので、例えつまみが同じ場所にあっても、概ね85%ぐらいの再現性なんですよね。
それと、電気的なアナログ回路の違いだけでなくて、人間の聴こえ方の感覚も前の日とは違うので、2つのファクターが違うとなると、もう同じ音にならなくて当然なんですよ。
なので、自分の家でチェックして、次の日スタジオへ行って、トータルリコールしてそこでよしって思えれば、その2つのファクターを乗り越えて最終形になったわけだから、それをもうオッケーとしちゃいます。
Pro Tools の場合は、同じ延長線上で調整していけるので、別に完成はしてなくてもっていう考え方もできます。例えば、5年経ってから歌い直したいって思ったら、やり直すのもありだと思います。


「いい機材を使う」だけでは叶わない音作り

使用するケーブルや、マイクプリアンプの位置、マイクの位置、音の確認方法、そして一緒に音を作り上げるメンバーに対するコミュニケーション...音に対して多くのアプローチが、様々な面から考えられているのだと、インタビューを通して感じました。

また、エンジニアだけでなく、プレイヤー、プロデューサー、ディレクターそれぞれが音に対する試行錯誤があると思います。

いわゆる「スタジオマジック」は、そのように音のために真剣に取り組んだ人たちにのみ起こる魔法のような瞬間だと感じました。

昨今では宅録が一般的になり、メインストリームでもスタジオで録音されていないものもたくさんあります。
しかし、まだスタジオを経験したことない方達は、スタジオでレコーディングしてみると、新たな化学反応が生まれ、別世界の音を見ることができるかもしれません。


天童氏のキャリアインタビュー記事はこちらからどうぞ。

エンジニア、天童淳氏「音」を追求し続けた40年|音は機材ではなく、人で変わる | ONLIVE Studio blog
井上陽水さん、岩崎宏美さん、財津和夫さん…など、名だたるアーティストの作品に携わってきたエンジニア・天童淳(てんどうじゅん)氏。天童氏は1982年にキャリアをスタートさせ、現在も数々の作品のレコーティングとミキシングを手がけています。約40年の経験を持つエンジニアは、どのようなキャリアを歩

天童淳氏プロフィール

北海道札幌市出身の音楽エンジニア。井上陽水さん、岩崎宏美さんをはじめとした数々の作品を手掛けている。
1982年からエンジニアとしての道を歩み始め、様々な一流ミュージシャンと仕事を重ねていき、現在はフリーランスになって約33年目となる。
Nami
Written by
Nami

東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。

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