ロックンロールとは?
ロックンロールとは、1940〜1950 年代にアメリカ合衆国で形成された音楽ジャンルです。
黒人コミュニティで発展したブルースや R&B、ジャズ、ゴスペルなどを基盤に、白人音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンの影響を受けて発展しました。
ロックンロールについてあまり詳しくない方でも、以下の有名曲はどこかで耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
1960 年代以降はロックンロール、さらにロックンロールを受け継いだ音楽は「ロック・ミュージック」と呼ばれるようになり、ロックンロールは最も支持された音楽ジャンル(※1)の基盤となっています。
そのため、ロックンロールはロック・ミュージック内の一つのカテゴリーと考える人もいれば、別ジャンルと捉えられることもあります。
いずれにしても、ロックンロールは現代まで通じるロック・ミュージックに多大な影響を与えていることには間違いありません。
(※1) 最近ではロックよりも HIP-HOP の方がランキングで上位を占めることが多く、2023 年のジャンル別の市場シェアは HIP-HOP が1位となっています。
ロックンロールの成り立ち= R&B の人気
それでは、ロックンロールはどのようにして形成されたのでしょうか?
ロックンロール黎明期は 1940 年代頃といえます。まずは当時のアメリカの時代背景に触れたいと思います。
1863 年に奴隷制度が廃止され、それから 80 年程経過していてもなお、当時のアメリカ社会では黒人に対する差別が続いていました。
黒人を隔離するための人種差別を正当化するための法律「ジムクロウ法」も存在し、公共のものから学校、病院など、白人用と黒人用に分かれていたのです。
音楽に関しても例外ではなく、白人が聴く音楽は「ポップ・ミュージック」、黒人が聴く音楽は「レイス・ミュージック」と分けられていました。
時代が変わっていくにつれ人種意識が少しずつ変化し、レイス・ミュージックという人種的な観点での名称は時代にそぐわないという意見が出始め、1947 年にビルボード誌により、レイス・ミュージックは「R&B(リズムアンドブルース)」と名付けられます。
しかし、名前は変わったとはいえ、聴衆ターゲットも黒人のまま、チャートも白人用の「ポップ・チャート」と黒人用の「R&B チャート」に分かれていました。
このように白人からは区別されていた R&B ですが、1950 年代あたりになると白人のティーンネイジャーの間で密かに R&B の人気が上昇し始めます。
さらに、当時人気ラジオ DJ であった Alan Freed (アランフリード)は自身の番組「Moondog's rock'n'roll party(ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティー)」で R&B 積極的に流すことで、その人気を助長させました。
この際に、世間には黒人音楽というニュアンスが入った R&B ではなく、「ロックンロール」というワードを新たに使って紹介。これにより「ロックンロール」という言葉が広まるきっかけとなりました。
参考:TeachRock「Alan Freed: Mr Rock'n'Roll」Divorce and the Draft 2024/09/10
つまり、最も初期の段階でのロックンロール = R&B(当時の黒人音楽)だったわけです。
ロックンロール形成期〜カントリーとの融合
新しい価値観を持った白人のティーンネイジャーたちは、黒人差別意識の強い親世代への反抗、第二次世界大戦後のエネルギッシュな精神性を持っていました。
そのようなティーンネイジャーとロックンロールはマッチし、若者文化として確立しはじめます。
一方、親世代は差別意識がまだ残っていたため、ロックンロールのことを「悪魔の音楽」と呼び、不良の音楽とみなしていました。
しかし、その人気は止まることなく、若者の支持を広げていきます。
黒人の音楽が R&B チャートを超えてポップチャートにも食い込んだり、それまで白人に人気だったカントリーやウェスタンのミュージシャンたちが R&B をカバーをし始めたり。
当初の白人による R&B のカバーは、白人の聴衆にも受け入れやすいようにアレンジされたものが大半でした。
そんな中で、初めて黒人音楽へのリスペクトを表した形で、黒人のように演奏するElvis Presley(エルビスプレスリー)が登場します。
彼は若者を中心に 50 年代に圧倒的な支持を得て、これまで一部の人にしか聴かれていなかったロックンロールをポピュラーミュージックへと押し上げました。
こうして黒人音楽と白人の音楽が影響をし合ってロックンロールが形成されていきました。
ちなみに、ロックンロールのなかでもカントリー要素が強いものは「ロカビリー」と分類されます。
代表的なロックンロールアーティスト
Chuck Berry(チャック・ベリー)1926-2017
「ロックンロールの父」とも称される。ミズーリ州セントルイス出身で、1955 年に R&B レーベルのチェス・レコードと契約。
彼の社会性のある歌詞は当時のアメリカ社会に響き、多くの支持を得た。
『Johnny B. Goode』や『School Days』など、特徴的なギターリフや奏法は多くのギタリストに影響を与え、後のロック音楽の基盤を築いた。
Fats Domino(ファッツ・ドミノ)1927-2017
ロックンロールの草分け的存在。1951 年にリリースした『The Fat Man』は、初のミリオンセラーを達成したロックンロールのシングル盤となった。
また、1955 年にリリースした『Ain't That a Shame 』は、はじめてポップ・チャートにランクインしたレコードとされる。
ブギウギやブルースの影響を色濃く残し、独特のバリトンボイスが多くのファンに愛されている。
その後も数々のヒット曲を生み出し、生涯で 6,500 万枚以上のレコードを売り上げるなど、当時のアメリカで最も売れた一人ともいわれている。
Little Richard(リトル・リチャード)1932-2020
上記二人に並び、ロックンロールの創始者の一人。
また、黒人コミュティだけではなく、ポピュラー音楽として受け入れられた初めての黒人アーティストともいわれている。
激しいピアノ演奏、そしてそのしゃがれた声でのエネルギー溢れる歌が特徴で、歌い方に関してはポールマッカートニーも影響を受けているとされる。
当時差別の激しかったアメリカ社会で、同性愛者ということを公表していた。
代表曲である『Tutti Frutti(トゥッティ・フルッティ)』は、R&B チャートだけではなく、ポップ・チャートにも17 位でのめり込むなど、偉業をなした。
Elvis Presley(エルビス・プレスリー)1935-1977
キング・オブ・ロックンロールとも呼ばれ、「史上最も成功したソロ・アーティスト」としてギネスに認定されている。
初めて黒人をリスペクトした形でロックンロールを演奏し、人種の壁を超えてアメリカの新しい文化を形成した。
映画俳優としても活躍し、自身も出演していた「Love Me Tender」や「Jailhouse Rock」では同名の曲も名盤として歴史に残っている。
生涯の総売り上げは推定30億枚ともいわれている。
Buddy Holly(バディ・ホリー)1936~1957
1950 年代半ばから活動し、ロックンロールの中心的存在となったアーティスト。
彼が率いるバンド、Buddy Holly & The Crickets(バディ・ホリー & ザ・クリケッツ)のギター、ベース、ドラムというシンプルな編成は、後にロックのバンド編成の基盤となった。
代表曲「That'll Be the Day」は、一度は大手レコード会社のプロデューサーに酷評されるも、翌年に別のレコードからリリースし、大ヒットとなった。
22 歳という若さでこの世を去ったが、短いキャリアにもかかわらず、多くの後進アーティストに影響を与え、音楽シーンに多大な影響を与え続けている。
Bo Diddley(ボ・ディドリー)1928~2008
ロックンロールを作ったうちの一人。
ブルースマンとしてデビューし、ロックへと昇華させた。1955 年にリリースした「Bo Diddley」や「I'm a Man」は R&B チャートで1位を獲得し、一躍スターになった。
その激しいギター演奏は人々を魅了し、彼が演奏する特徴的なビートは「ボ・ディドリービート」とも呼ばれている。
新たなロック・ミュージックへ
1950 年代に大人気だったロックンロールですが、50年代後半に入るとスターたちが次第に第一線から遠ざかり始め、その勢いを失っていきます。
1957 年、リトル・リチャードは飛行機事故をきっかけに牧師に転向。翌年には、エルヴィス・プレスリーが陸軍に入隊。さらに、DJ アラン・フリードは「ペイオラ・スキャンダル」という汚職事件で失脚。
また、1959 年2月3日には、Buddy Holly 、Ritchie Valens 、The Big Bopper といった偉大なアーティストたちが飛行機事故で亡くなるという悲劇が起こり、この日は「音楽が死んだ日」とも呼ばれるようになりました。同年には Chuck Berry も逮捕されています。
こうした出来事が重なり、50 年代に人気を博していたロックンロールのスターたちは勢いを失っていきました。
しかし、その間にもロック・ミュージックは進化し続け、ロックンロールに影響されたアーティストたちが、新たな流行を作り始めます。
サーフロック、ガレージロック、そして、1960 年にはビートルズが一世を風靡します。
そうして形を徐々に変えたり、別ジャンルと融合したりと、様々な影響を受けながら進化していき、ロックンロールから始まったロック史は、現代のロック・ミュージックまで繋がっているのです。
ロックンロール映画
ロックンロール全盛期に公開された映画
50 年代はロックンロールのブームだったため、ロックンロールを象徴する映画が多く公開されました。
1955 年に公開された映画「Blackboard Jungle(邦題:暴力教室)」には Bill Haley (ビル・ヘイリー)の『Rock Around The Clock』が主題歌として使用され、映画と共に音楽も一躍ヒットとなっています。
翌年に公開された「Shake, Rattle And Rock」では、ロックンロールを禁止しようとする横暴な大人たちに立ち向かうといった内容で、当時の若者たちに共感と支持を得ました。
この映画の音楽は Fats Domino が担当しています。
同年にはロックンロール歌手である Alan Dale(アラン・デイル)と、先にご紹介した DJ Alan Freed が共に主演を演じる「Don’t Knock The Rock」が公開。
Bill Haley、Little Richard も演者として出演しており、作品内で数々の演奏も行っています。
1957 年には Elvis Presley の半自伝映画となる「Jailhouse Rock (監獄ロック)」を公開し、歴史に残る作品となっています。
50 ~ 60 年代を舞台にした映画
ロックンロールの全盛期に公開された映画だけでなく、当時のアメリカ社会を描いた後の映画もあります。
これらの映画は、当時の社会や文化を客観的かつ分かりやすく映し出しており、ロックンロールがどのように時代と共鳴していたのかが理解しやすいです。
例えば、ミュージカル映画『グリース』は 1950 年代末のアメリカを舞台に、白人ティーンエイジャーのラブロマンスを描いた作品で、1978 年に公開されました。この映画を通じて、当時の文化や若者の生活を垣間見ることができます。
また、2007 年に公開されたミュージカル映画『ヘアスプレー』は、1962 年のアメリカ、特に保守的だったボルチモアを舞台にしています。
この時代は公民権運動が活発化していましたが、ボルチモアでは黒人差別が根強く残っていました。明るくポジティブな雰囲気の中で、当時の人種問題や公民権運動が描かれています。
同じく1962 年のアメリカを舞台にした映画『アメリカン・グラフィティ』は、ジョージ・ルーカス監督の処女作で、1973 年に公開されました。この映画はカリフォルニアを舞台に、青春真っ盛りの若者たちの一夜を描いており、ヒットとなりました。
作中には 50 〜 60 年代に流行していた楽曲が使用されており、先にご紹介した『Rock Around the Clock』や『Johnny B. Goode』などが挿入歌として使用されています。
ぜひご覧になってみてください。
(※2)原作は 1988 年に公開されています。
まとめ
以上、今回はロックンロールについてご紹介しました。
ロックンロールは、黒人と白人の音楽が融合し、商業的に成功した重要な音楽ジャンルです。その影響は今も多くの音楽に息づいています。
ロックンロールの成り立ちとその時代背景を知ることで、ジャンルへの理解が深まり、当時の音楽をより楽しむことができるでしょう。
ONLIVE Studio blog では、ロックンロールのルーツの一つでもあるブルースの成り立ちについてもご紹介しています。
よりルーツを感じられる内容になっているので、ぜひ合わせてご覧ください。
東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。