ロックンロールとは、1940年代末から1950 年代にかけてアメリカ合衆国で形成されたポピュラー音楽ジャンルです。
黒人コミュニティで生まれたブルースや R&B、ジャズ、ゴスペルなどを基盤に、白人音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンなどの要素が融合して発展しました。
ロックンロールになじみがない方でも、以下の名曲はどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか?
1960 年代以降、ロックンロールのスピリットと音楽性を受け継いだ音楽は、単に「ロック・ミュージック」と呼ばれるようになり、ポピュラー音楽界の中心的ジャンルへと進化していきました(※1)。
そのため、ロックンロールを、ロック・ミュージック内の一つのカテゴリーと捉える人もいれば、全く別ジャンルと捉える人もいます。
いずれにせよ、ロックンロールが現代へ続くロック・ミュージックの原点であることには間違いありません。
(※1) 最近の音楽チャートでは、ロックよりも HIP-HOP やポップスが上位の大半を占めており、2020 年代以降の米国市場シェアも、 HIP-HOP / R&Bがトップを走っています。
ロックンロールの成り立ち=R&B の人気
それでは、ロックンロールはどのようにして生まれたのでしょうか?
その黎明期は 1940 年代。まずは当時のアメリカの社会背景からひも解いてみましょう。
1863 年に奴隷解放宣言が出されてから 80 年以上が経過していた当時も、アメリカ社会には根深い人種差別がまん延していました。
とりわけ南部では「ジム・クロウ法」と呼ばれる人種隔離法が存在し、学校、病院、公共施設、交通機関に至るまで、白人と黒人は厳格に分かれていたのです。ポピュラー音楽の世界も例外ではありませんでした。白人向けの音楽は「ポップ・チャート(あるいはカントリー)」、黒人向けの音楽は「レイス・レコード(人種レコード)」として明確に区別されていたのです。
しかし1949年、音楽誌『ビルボード』が、時代にそぐわないとして、「レイス・レコード」という呼称を廃止し、新たに「R&B(リズム・アンド・ブルース)」というチャート名を導入しました。
それでも市場の分断は続き、チャートは白人向けの「ポップ」と黒人向けの「R&B」に分かれたままでした。
人種によって区別されていた R&B ですが、1950 年代に入ると、黒人向けラジオ局を聴いていた白人のティーンエイジャーたちの間で、密かに人気が上昇し始めます。
この潮流を決定づけたのが、当時人気ラジオ DJ のアラン・フリード(Alan Freed)でした。彼は自身の番組(『Moondog's Rock'n'Roll Party(ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティー)』など)で黒人の R&B を積極的にプレイ。さらにR&Bという言葉にまとわりついていた人種的レッテルを払拭するため、黒人ブルースの歌詞で性的・躍動的なニュアンスとして使われていたスラング、「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」という言葉を使ってこの音楽を紹介しました。これが「ロックンロール」という言葉を全米へ、そして世界へと広めるきっかけとなったのです。
参考:TeachRock「Alan Freed: Mr Rock'n'Roll」Divorce and the Draft 2024/09/10
つまり、最も初期の段階におけるロックンロールとは、まさに白人若者層に浸透したR&B そのものでした。
ロックンロール形成期〜カントリーとの融合

新しい価値観を持つ1950年代の白人ティーンエイジャーたちは、親世代の強い人種差別意識に反発し、第二次世界大戦後の高度経済成長が生んだエネルギッシュな開放感を求めていました。そうした若者たちの欲求とロックンロールのリズムがマッチし、ひとつの巨大なユース・カルチャー(若者文化)として確立していきます。
一方、保守的な親世代や社会はこれを激しく警戒。ロックンロールのことを「悪魔の音楽」と呼び、レコードの粉砕運動まで起きるほど拒絶反応を示しました。しかし、その人気は止まることなく、若者の支持を広げていきます。
黒人のR&B音楽が白人向けのポップ・チャートに食い込むようにいなり、白人のカントリー系ミュージシャンたちも R&B をカバーを録音し始めます。
当初の白人による R&B のカバーは、白人の聴衆にも受け入れやすいようにアレンジされたものが主流でした。
そんな中、黒人音楽へのリスペクトを表した形で、黒人歌手のようなシャウトとアクションで登場したのが、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)でした。
彼は1950年代半ばに若者を中心に圧倒的な支持を得て、ローカルな現象だったロックンロールをポピュラー・ミュージックへと昇華させます。
こうして黒人のR&Bと白人のカントリー/フォークが影響を与え合って融合したことで、ロックンロールというスタイルが完成したのです。
なお、ロックンロールの中でもカントリー&ウェスタン要素が強く前面に出たスタイルは「ロカビリー」と呼ばれます。
代表的なロックンロールアーティスト

Chuck Berry(チャック・ベリー)1926-2017
「ロックンロールの父」とも称される。ミズーリ州セントルイス出身で、1955 年に R&B の名門レーベルのチェス・レコードからデビュー。ティーンエイジャーの日常や車、恋愛、社会観察を盛り込んだ知的な歌詞で若者の心を掴みました。
『Johnny B. Goode』や『Maybellene』などで聴けるダブル・ストップ(2音弾き)のギター・リフや“ダックウォーク”などの奏法は、後の多くのロック・ギタリストの規範となりました。
Fats Domino(ファッツ・ドミノ)1928-2017
ロックンロールの最初の成功者として草分け的存在。ニューオーリンズ出身で、1949 年にリリースした『The Fat Man』は、初のミリオンセラーを記録したロックンロール/R&Bシングルとされている。
また、1955 年の『Ain't That a Shame 』は、ポップ・チャートでも大ヒット。
ブギウギやニューオーリンズ・R&Bに根ざしたピアノと独特のバリトン・ボイスが多くのファンに愛された。
その後も数々のヒット曲を生み出し、生涯で 6,500 万枚以上のレコードを売り上げるなど、当時のアメリカで最も売れた一人ともいわれている。
Little Richard(リトル・リチャード)1932-2020
上記二人に並び、ロックンロールの創始者のひとりであり、ダイナミックなパフォーマー。
人種やジェンダーの境界を打ち破り、ポピュラー音楽として受け入れられた初めての黒人アーティストともいわれている。
打楽器のようにピアノを叩きつける激しい演奏と、しゃがれた声を交えたエネルギーあふれるボーカルが特徴で、ポール・マッカートニーをはじめ、後世に影響を与えている。
当時差別の激しかったアメリカ社会で、同性愛者ということを公表していた。
1955年の代表曲『Tutti Frutti(トゥッティ・フルッティ)』は、R&B チャートだけではなく、ポップ・チャートでも17 位を記録する快挙を成し遂げた。
Elvis Presley(エルビス・プレスリー)1935-1977
キング・オブ・ロックンロールと称され、「史上最も成功したソロ・アーティスト」としてギネス記録に認定されている。
黒人音楽への深いリスペクトでロックンロールを表現し、人種の壁を超えてアメリカの新しいポピュラー文化を形成した。
映画俳優としても活躍し、主演作『Love Me Tender』や『Jailhouse Rock(監獄ロック)』では同名の主題歌が、音楽史・映画史に名盤として語り継がれている。
生涯のレコード総売り上げは推定30億枚ともいわれている。
Buddy Holly(バディ・ホリー)1936~1959
1950 年代半ばから登場し、ロックンロールの中心的存在となったテキサス出身のアーティスト。
彼が率いたバンド、Buddy Holly & The Crickets(バディ・ホリー & ザ・クリケッツ)のボーカル&ギター、ベース、ドラムというシンプルな編成は、後にザ・ビートルズをはじめとする標準的なロック・バンドの骨組みとなった。
代表曲「That'll Be the Day」は、一度は大手レコード会社のプロデューサーに酷評されるも、翌年別レーベルからリリースし、全米1位の大ヒットとなった。
22 歳という若さでこの世を去ったが、短いキャリアの中で残したポップなソング・ライティングは、今なお多くのアーティストに影響を与え続けている。
Bo Diddley(ボ・ディドリー)1928~2008
ロックンロールの骨組みを作り上げたイノベーターの一人。
ブルースマンとしてキャリアを切り拓き、それをより激しくダンサブルなロックへと昇華させた。1955 年にリリースした「Bo Diddley」や「I'm a Man」は R&B チャートで1位を獲得し、一躍スターダムへ駆け上がった。
四角い自作ギターを激しくかき鳴らす演奏と、彼が生み出した特徴的なシンコペーション・リズムは「ボ・ディドリービート」と呼ばれ、ブリティッシュ・ロックの猛者たちをも魅了した。
新たなロック・ミュージックへ
1950 年代に全盛期を誇ったロックンロールですが、50年代後半に入ると時代を牽引したスターたちが相次いで第一線から姿を消し、その勢いを失っていきます。
1957 年、リトル・リチャードが飛行機事故をきっかけに突然の引退と牧師への転向を宣言。翌1958年には、エルヴィス・プレスリーが陸軍に入隊し、全米の熱狂から離脱します。さらに、ロックンロール旋風の立役者だったDJ アラン・フリードも「ペイオラ・スキャンダル」に巻き込まれ失脚。
そして、1959 年2月3日、Buddy Holly 、Ritchie Valens 、The Big Bopper という旬のスター3人が乗った小型機が墜落。全員が死亡する悲痛な事故が起き、のちにこの日は「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになりました。同年には Chuck Berry も逮捕されるなど、ショッキングな出来事が重なりました。
こうして1950 年代のロックンロール・ブームは一度大きな終止符をうちます。
しかし、ロックの息が途切れることがありませんでした。彼らに影響を受けた新世代のアーティストたちが、次々と新たな流行を作り始めます。
サーフ・ロック、ガレージ・ロック、そして、1960 年初頭にはザ・ビートルズをはじめとするイギリス勢が世界を席巻。
形を変え、別ジャンルと融合を繰り返しながら進化を遂げたロックンロールの遺伝子は、現代へと続くロック・ミュージックの歴史へと受け継がれていったのです。
ロックンロール映画

ロックンロール全盛期に公開された映画
50 年代は空前のロックンロール・ブームだったこともあり、その熱気をそのまま閉じ込めたような映画が次々と公開されました。
1955 年公開の映画『Blackboard Jungle(邦題:暴力教室)』では、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの『Rock Around The Clock』がオープニング曲に抜擢され、映画とともにロックンロールを全米へ広める大きな足がかりとなりました。
翌1956年公開の『Shake, Rattle And Rock』は、ロックンロールを不良の音楽として禁止しようとする大人たちに若者が抗議・立ち向かうという、当時の社会像を描いた作品です。劇中音楽はファッツ・ドミノが担当しています。
同年には、先述の DJ アラン・フリードと歌手のアラン・デイルがタッグを組んだ『Don’t Knock The Rock』が公開。ビル・ヘイリーやリトル・リチャードらが出演し、圧倒的なライブ・パフォーマンスをスクリーンで披露しました。
1957 年にはエルヴィス・プレスリー主演の半自伝映画『Jailhouse Rock (監獄ロック)』が公開・彼が刑務所内で躍動的に歌い踊るシーンは、ミュージック・ビデオの原点とも称され、映画史に残る名場面となっています。
50 ~ 60 年代を舞台にした名作映画
ロックンロール全盛期に作られた作品だけでなく、後年に当時のアメリカ社会や若者文化を振り返って描かれた名作もあります。これらの映画は、ロックンロールという音楽が、どのように若者の生活や時代背景と結びついていたのかを、客観的かつ生き生きと映し出してくれます。例えば、1978年公開のミュージカル映画『グリース』は 1950 年代末のハイスクールを舞台に、白人ティーンエイジャーの恋と青春を描いた大ヒット作。当時のファッションや文化といった若者の生活をリアルに知ることができます。
また、2007 年公開のミュージカル映画『ヘアスプレー』は、1962 年の人種差別が色深く残るボルチモアが舞台。公民権運動が加速する時代の緊張感を背景にしつつも、明るくキャッチーな音楽に乗せて、人種問題や多様性のテーマを描いています。
同じく1962 年のアメリカを舞台にした映画『アメリカン・グラフィティ』は、ジョージ・ルーカス監督の出世作として知られる1973 年の名作。高校を卒業した若者たちが繰り広げる「人生最後の夜」を描いた青春群像劇で、作中には、『Rock Around the Clock』や『Johnny B. Goode』といった50〜60年代のヒット曲が全編にわたって使用されています。
ロックンロールの空気感を味わう入門編として、ぜひご覧になってみてください。
(※2)原作となったオリジナル映画は 1988 年に公開されています。
まとめ
今回は、あらゆるロックの原点であるロックンロールの誕生と歴史を紹介しました。
ロックンロールは、黒人と白人の音楽が融合し、ポピュラー音楽のあり方を劇的に塗り替えた音楽革命でした。その熱量とスピリットは、今なお多くの音楽の中に息づいています。
成り立ちや当時の時代背景を知ることで、楽曲の持つエネルギーをより深く楽しめるようになるはずです。
ONLIVE Studio blog では、ロックンロールのルーツでもあるブルースの成り立ちについても開設しています。
音楽のルーツをさらに深堀りしてみたい方は、ぜひ合わせてご覧ください。

東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。








