

ミックスエンジニア田中"Teppei"邦明氏・エンジニアとしてのキャリア|「自分の音」っていうのを、突き詰めたかった
ライブレコーディング会社やレコーディングスタジオでのエンジニアを経て、現在はフリーランスのエンジニアとしてご活躍中の田中"Teppei"邦明氏。 80年代からキャリアを積み、これまで玉置浩二さんや中山美穂さんをはじめ、数々のアーティスト作品に携わってきたエンジニアです。 2024年には ONLIVE Studio 主催の楽曲コンテスト『Creators Competition ONLIVE』のミックス部門に参加し、多くの応募作品の中から田中氏のミックスが選出されました。 今回は、そんな田中氏のこれまでのキャリアの歩み、そしてコンテスト参加時のエピソードについて、お話を伺いました。

キャリアについて
-田中さんは福岡のご出身ですよね?どのようにしてエンジニアを目指されたのでしょうか。
高校を卒業して、何もつてがないのに「俺はエンジニアになる」と急に思って、それで上京しました。
その時はレコーディングスタジオもまだよく分からなかったので、高田馬場にある「BIGBOX高田馬場」という施設の中にあった「ビクターミュージックプラザ」というスタジオを訪ねてみたんです。そこの人が 株式会社SCIっていうライブレコーディングの会社を紹介してくれて。
とりあえず音楽業界に潜りこんだ方がいいかなと思って、まずはそこに入社しました。
ライブレコーディングって、普通はバスみたいなでかい車の中にレコーディングできる機材が積んであって、その車を会場に乗り付けて作業するんですよ。
今でこそ SCI はライブレコーディングの大手になったので、そういったバスはたくさん持っていると思うんですけど、当時はまだなかったんです。
なので楽屋を借りて、そこに機材をセッティングしてレコーディングするっていうスタイルでやっていて。これがすごく勉強になりましたね。それを3、4年ぐらいやりました。
-ライブレコーディングの仕組みを知らなかったのですが、バスの中がスタジオみたいになってるんですね。
そうそう。そこにライブ会場のマイクとかケーブルを引っ張って繋ぐんですよ。
でも、僕がやってた頃は楽屋を借りるスタイルだったので、車が止められないような会場でも対応できたりして、結構重宝されてました。
-SCI の後は六本木SEDICスタジオに移籍されたのだとか?
そうですね。西武が六本木にスタジオを作るってなった時に、 SCI に設計だとか運営に関して協力してくれないかって話があったんです。
教育して人材を派遣する話もあって「これはチャンスだ!」と思って、それが23歳の時ぐらいですかね。六本木SEDIC で、アシスタントエンジニアとしてキャリアをスタートさせました。
-アシスタントエンジニア時代はどうでしたか?
時代が時代ですから、ミュージシャンがすごく怖かったですね(笑)。
今は Pro tools でレコーディングやっていますけど、当時はテープレコーダーで録音していたんですよ。
例えばパンチインでここの一小節だけ録り直すってなった時に、録音するタイミングってリアルタイムで入らないから、普通はその前後も続けて演奏してくれるんだけど、わざとその小節をピンポイントでしか弾かなかったりね(笑)。
ただ当時はアシスタントからミュージシャンやプロデューサーに気に入ってもらえて、簡単な作業から任せてもらえたり...っていうことがあったので、そこは良かったなって思います。
今は昔より予算が減っているので、新人に任せてみるみたいな冒険するようなことは減っていると思うのでね。
-現在は六本木SEDIC の所属エンジニアを経て、フリーでご活躍されていますが、フリーでやっていこうと思ったきっかけはありましたか?
六本木都市開発で六本木SEDIC の建物自体を壊すことになって、スタジオがなくなったんです。そこからフリーでやってます。
それが25年前くらいなので、30歳後半からかな?
-フリーになった当初は、どのように案件を増やしていったのでしょうか?
これまでの繋がりのお客さんや、紹介などですね。
HP を作ってからは HP からの問い合わせも多いです。おそらく好きな曲のクレジットを見て名前を検索しているのか、海外からも依頼されたりします。
-フリーになってからは機材などはどうされているんですか?
レコーディングの場合は、プロフェッショナルなスタジオを借りるので、基本的な機材はスタジオに揃っているので、その機材を使用しています。
ミックスの場合は自宅の機材で完結できますね。
-現在は Pro Tools がありますが、以前のアナログ時代と感じる違いはありますか?
アナログは、フェーダーの設定を一回バラしちゃったらもう戻せないので、後から「あ、そこちょっと直して欲しいかも」ってなっても、もうできないんですよ。だからみんなも最後まで緊張感持って判断していました。
当時はミックスって1日1曲ぐらいのスケジュールが多かったので、その日が終わったら、バラして、次の曲の準備をして...みたいな。
バラしちゃったら元に戻せないので、いつもの環境で確認してから判断したい人はコピーをもらって、一旦自分の家に帰って聴いてから「オッケー!」と電話がかかってくることもありました。
-今は気軽に修正してもらえますもんね。
その分、なかなか終わらないっていうのはありますよね。
-下積み時代は大変なこともあったかと思いますが、田中さんの中で一番のモチベーションは何でしたか?
やっぱり「自分の音」っていうのを、突き詰めたかったんだと思います。
山下達郎さんの作品に携わっていた吉田保さんというエンジニアの方がいますが、あの方はやっぱり独特なサウンドですよね。
うちのスタジオとかにもよく来てくださっていて、アシスタントについた時に何か技術を盗めないかなと思って見てました。
みんな帰った後に吉田さんが調整したテープを聞き直して、ああやってたなぁ、こうやってたなぁ、とかって再現してみたり。
でも、そもそも基準が違うんですよね、きっと。だから真似してみて、ちょっと同じような感じになってるなって思ったりもするけど、やっぱり何か違うんです。
こういうのって、教えようと思っても教えられるものじゃなかったりしますしね。
ご参加された『Creators Competition ONLIVE』ミックスコンテストについて

-田中さんは ONLIVE Studio主催の楽曲コンテスト『Creators Competition ONLIVE』(※1)のミックス部門にもご参加くださっていましたよね。
そうですね。確か案内のメールが来て、こんなことやってんだ〜と思って、それでちょっと興味があったので応募してみました。
何人ぐらい参加してたんですかね?
(※1)ONLIVE Studio主催の楽曲コンテスト。
田中氏が参加された第一弾では avex所属の人気シンクロアクロバットパフォーマー・佐藤三兄弟初のオリジナル楽曲を「作詞作曲コンテスト」、「アレンジコンテスト」、「ミックスコンテスト」の全3部門で開催された。
-ミックスは 25 名参加されていました。
そうでしたか。それぞれの音は全然違うものですか?
-全然違いました!同じ曲を他の方のミックスで聴くことってないですもんね。田中さんは、『Change My Life』をミックスするにあたってのイメージって何かありましたか?
まずは彼ら(佐藤三兄弟)がどういうことやってるのかっていうのをちょっと調べてみて、こんな感じに聞かせた方がいいんじゃないかなっていうのはイメージしていました。
ダンスチューンだったので、踊りながら歌うなら、やっぱりリズムがはっきりした音作りしないとダメだなっていうのはまず頭に最初はあったと思います。
あとは事務所が avex だったので、事務所の特色も考えたりもしましたね。
田中さんのミックスが選ばれた楽曲、佐藤三兄弟『Change My Life』
- 田中さんがこれからやりたいことはありますか?
才能のある方の手助けをできればいいかなと思ってます。
ネットだと、地球上どこにいても出会える可能性はあるわけですからね。
まとめ
これまで様々な有名アーティストの楽曲を支えてきたエンジニアでも、始めはつてのないところからスタートし、自らの力でキャリアを築いてきたというその歩みは、多くの人の背中を押すのではないでしょうか。
ONLIVE Studio のコンテスト『Creators Competition ONLIVE』にもご応募いただいたり、ご自身の音を追求されている姿など、常に「音」に興味を持ち、探求心を持って取り組む田中氏の姿勢は非常に印象的でした。
田中氏が選考された ONLIVE Studio 主催の楽曲コンテスト『Creators Competition ONLIVE』についてはこちら▼
『Creators Competition ONLIVE』詳細
『Creators Competition ONLIVE』結果発表
ONLIVE Studio を通じて、田中氏に依頼があった事例を以下の記事で取り上げています。
名古屋で活動するシンガーソングライターのヒラウチマイさんから、田中氏にミックスの依頼をした事例となっています。ぜひ合わせてご覧ください。
ONLIVE Studio活用事例紹介〜ヒラウチマイ『でんぐりがえし』
田中"Teppei"邦明氏へのご依頼はこちらから可能です。
田中"Teppei"邦明氏プロフィール
これまで玉置浩二や中山美穂などの数々のアーティスト、数々のヒット作品を手掛ける。
生年月日:8月24日
出身:福岡県
出身校:福岡県立大牟田北高等学校
趣味:家庭菜園
音楽以外での目標:現状維持

東京出身の音楽クリエイター。 幼少期から音楽に触れ、高校時代ではボーカルを始める。その後弾き語りやバンドなど音楽活動を続けるうちに、自然の流れで楽曲制作をするように。 多様な音楽スタイルを聴くのが好きで、ジャンルレスな音楽感覚が強み。 現在は、ボーカル、DTM講師の傍ら音楽制作を行なっている。 今後、音楽制作やボーカルの依頼を増やし、さらに活動の幅を広げることを目指している。